「晴耕集」4月号 感想                柚口満  

福引に当たりし鞄もて余す升本榮子

 福引というのは 歴とした新年の季語である。正月に餅を引っ張りあい、取り分の多少でその年の吉凶禍福を占ったのが起源とされるが今では籤引きで商品の等級を決め当てることをいう。年末年始の商店街の福引はいまでもささやかな楽しみとして残る。
 掲句は福引に挑んで当たったのが鞄であった感慨を面白く詠んでいる。鞄など家には余るほどある。おまけに嵩張るのにも閉口だ。でもまあいいか。新年早々の籤運を大事にしよう、といったところだろうか。

針供養千人針とふ昔ごと池野よしえ

 針供養というのは2月8日(所によっては12月8日)に折れた針を集めて豆腐や蒟蒻に刺して供養する風習である。
 この句はその針供養に訪れた作者がその昔に聞いた千人針という行為を手繰り寄せ作られた一句であろう。第二次世界大戦まで多くの女性たちが戦地に赴く兵隊さんのために一枚の布に一人ずつが針糸を縫いつけ武運長久を祈ったのだ。
 針供養も、ましてや千人針の由縁などどんどん埋もれてゆく現在、時の流れを感じた一句であった。

豆を撒く昭和ひと桁声張りて岡村優子

 私は冬の節替わりである節分という季語が好きである。翌日が待ちに待った新しい春、その心が躍る雰囲気が何とも言えないのである。
 この句はその節分の豆撒きを詠んだ一句である。邪気を払い福を呼ぶ声の張りに迎春の昂ぶりが感じられる。昭和ひと桁生まれというと今年で90歳以上を指す。外連味のない長寿の掛け声が福を呼ぶ。

寒見舞ついでに雪を搔いてゆく伊藤洋

 この句の作者は北海道は石狩市に住んでいる。本格的な寒に入り寒中見舞いに赴いた時のさりげない思いやりを一句に詠んでいる。
 寒いなか、なかなか外に出向かないなか、知り合いとの歓談を楽しんだあと、そのついでに訪れた家のまわりの雪搔きをしてきたという。さりげない行為であるが「ついでに」の言葉が暖かくて気持ちがよい。

日の射して氷柱なないろ極楽寺武井まゆみ

軒氷柱通す光にこけし挽く望月澄子

 寒冷地の氷柱は美しくその形状も温度ほかの気象条件の変化でいろいろな形状美をみせてくれる。極寒のなかでは庇から地面までが連なることもあるという。その氷柱の二句を取り上げた。
 武井さんの句は曇り空から日がさしてきた時の美い氷柱を詠んでいる。お寺の大屋根から並列に垂れる氷柱は眩しい光を浴びて七色に輝いた、と感動する。極楽とはこのような世界なのか。寺の名は極楽寺。
 一方の望月さんはこけし工房のささやかな軒氷柱が主役。光の乏しい工房に氷柱が運ぶ薄明かりを頼りに黙々と轆轤を挽くこけし師の姿が目に浮かぶ。

楮踏むをんな総身に湯気立てて中島真理

 紙漉の傍題に楮蒸すや楮踏むがある。紙漉の作業は冬場の重労働であり、多くは女性が従事したものである。この句は紙を漉く前の作業、原料の楮を蒸し剝いた皮を踏む工程を詠んでいる。身体全体に湯気を立てて一心不乱に踏み続ける女の人の逞しさが見えて印象的だ。寒中に漉いた紙は上質とされ貴重品とされる。

手に当たる角の確かさ慈姑掘る小野寺清人

 最近は慈姑を食する機会がなくあの正月にでてきた煮物の質感と味が無性に懐かしい。収穫期は意外と長く11月下旬から4月頃までとされる。
 慈姑は水田で栽培され地下の塊茎が食用になる。掲句はその収穫の様子を詠んだものだが、上五から中七にかけての描写がリアルで経験した人にしか表現できないものである。泥の中の慈姑の角を手探りで探す単調な作業の苦労が偲ばれる。

鮟鱇のどろりと鉤に掛けらるる田中里香

 鮟鱇の一句一章(一物仕立て)の句である。一物仕立ての句は対象物を一点に絞り込む詠み方で読む人に直接的に感情が伝わるが、失敗すると説明や報告に流れるおそれがある。
 この句は中七以下に無駄な言葉がなく、特にどろり、の表現に発見の新鮮さが伺える。深海に静かに棲んでいた鮟鱇が無情に地上に揚げられ吊るされたその無念さまでも想起される佳句といえよう。

生きてゐる証の賀状届きけり小池伴緒

 年賀状のある一面を突いた一句であり共感を覚える人も多いのではなかろうか。
 普段は手紙のやり取りすらしなくても、その安否だけは年賀状で確認して安堵するという手段は結構貴重なものともいえる。ネット全盛時の今、年賀状を書く若者が激減していると聞くが問題提起の句でもある。