「晴耕集」5月号 感想                              柚口満

夜遊びの雛に雪洞消さずおく杉阪大和         

 雛祭の一句であるが、飾られている雛の心情をおもんばかっての一句でその目の付け所に感心した一句である。
 昼間は子供たちに加え親までもが雛壇の前に集まり白酒や雛菓子を供え賑やかなひと時を過ごすのであるが、飾られたお雛様には自由がなくただ並ぶだけ。そんな雛に夜更けだけは遊ばせてあげようと、雪洞を消さないでおいたという心情がこの句の眼目である。
 歳時記を繰ってみると雛祭の傍題は40近くにのぼり(講談社・『新日本歳時記』)その数の多さを吟味して作句するのもいいが、掲句のような新鮮な発想の句も捨てがたいものがある。

二月尽人事異動の噂立つ飯田眞理子

 会社勤めを終えてから大分時が過ぎてしまった。この句を読んで、そうそう人事異動というものがあったなあ、と妙に懐かしい気持ちが蘇ってきた。
 年度末を控えた2月は会社としても人事の異動に関して情報集めに忙しい頃、これを見越して会社の中ではあることないこと、根拠ない情報が飛び交ったものだった。なかにはその噂が本当だったこともありちょっと身構えたこともある。この句に出会い、そんなこんなことを久しぶりに思い出している。

保育器の稚のあくびや春近し酒井多加子

 上五の保育器と読んで緊張感が走ったが、読み下すうちに安堵感が拡がってくるような俳句だと感じた。
 保育器とは赤ちゃんが未熟児で生まれたためにそれを補完するために温度や湿度を適当に保ち、酸素の補給や感染防止を供えた外部から観察できるものである。
 最初心配された赤ちゃんもすくすく育ち、小さな口をあけて元気な欠伸を発してお母さんを安心させた。春を迎えれば保育器を出て退院だ。

水かげろふ躍る庇や春障子松谷富彦

 田舎での生活を思い出すと日本家屋の障子の思い出を懐かしい存在として振り返ることがある。季節ごとの障子の佇まい、一日の朝から夕方までの光の移り変わりなどである。
 この句は春の障子を通しての一句。庭の池のきらめきが反射して自宅の屋根の庇にゆらゆらと反射しているのであろう。その光が今度は障子に及び、えも言われぬ雰囲気を漂わす。春ならではの光景だ。

春寒し灯りの点かぬ家がまた清水恵子 

 こちらの句は現在の世相を反映させた寂しい一句である。暦は待ちかねていた春の到来を告げるが、まだまだ自然界には冬の名残の色が濃い。
 付近の家並みはとみれば、ここ数日夕方になっても灯りが点かない家がある。どうしたんだろう。思えばこの一区画だけでも空き家が増えた。
 核家族の増加が生み出す問題を「春寒し」の季語が物語る。

春北風や逆白波の最上川本間まり

 最上川といえば先年有志で大石田に吟行して奥の細道の足跡を辿ったことがあった。芭蕉は今の陽暦でいうと7月中旬に当地に入り「五月雨をあつめて早し最上川」を詠んだ。
 作者がこの句を作ったのは春北風(はるきた)の吹く天候不順の頃であったのであろう。川幅の広い最上川の川面は逆白波に荒れていたという。固有名詞を有効に使い何の衒いもないすっきりとした俳句である。

初蝶や産着はすぐに風孕み望月澄子

初蝶というと虚子の「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」を連想する。かように春になり初めて見る蝶は待ちかねたものであり、見るものを幸せにして気分を高揚させてくれる。
 生まれたての赤ちゃんの真っ白な産着が風を孕んで舞う様子はあたかも白い蝶が、それも初の蝶がひらひらとはためく風情だったのだ。初蝶と産着の取り合わせの妙である。

鍵穴を鍵もてさぐる寒戻り太田直樹 

 季語「冴返る」の傍題に「寒戻り」がある。立春後の春めいた頃にぶり返す寒気のことをいう。今年の春先にも何回かこのようなことがあり体調維持に苦心した方も多かったのではないか。掲句はそんな夜の帰宅時の光景か。玄関の鍵穴が定かでなく悪戦苦闘している図である。カ行の音が効果的。

母の年こえて傘寿や初ざくら坂下千枝子

 男でも女でも年を積み重ね両親の齢を越えた時には様々な感慨が胸をよぎるものである。作者もその年の桜の開花を迎えると母親の年齢を自ずと意識されてきたのであろう。
 ましてや傘寿の区切りを迎えての思いはどんなものであったのか。初桜の初々しさをみて、これからの新しい再出発を誓われたのではないか。