「晴耕集」8月号 感想                              柚口満

父の日や似顔絵にみな無精髭古市文子         

 6月の第3日曜日は父の日、もともとはアメリカの5月の母の日があり日本でも遅ればせながら6月第3日曜日を父の日として追随してきた。
 さて掲句である。小学校低学年の教室に父の日を感謝して子供たちの描いた似顔絵がズラリと展示されていた。よく見るとそれぞれの顔には計られたように無精髭が生えていたという。
 単なる髭でなく無精髭とは。子供たちのは感性、観察眼が素晴らしい。父の日の類想のない面白い作品である。

遠蛙一人夕餉の鍋つつく小野誠一

 子供達は結婚して外で所帯を持ち、夫婦だけの生活を送られる方々はどんどん増える傾向にある。
 そんな生活の一面を詠まれたのがこの句である。私なども妻が仲間と会食にでかけ一人ぼっちの食事をとることがあるが、ほとんどはコンビニで仕入れたもので済ますことになる。
 この作者は夕餉のために鍋料理まで準備するというからたいしたもの、遠蛙の季語が効いている一句。

東雲の静けさに汲む新茶かな酒井多加子

 幼い頃は近江茶の産地で育ったが、同級生には製茶業を営む家の子もいて仕事場を覗いたこともある。
 八十八夜が過ぎ立夏を迎えると新茶の季節、その特徴はなんといっても「香り」である。
 東雲というから朝といっても東の空が白む頃である。起きたての静寂のなかで汲む新茶の香り、たまらない至福の時であり、今日一日の素晴らしさを予感したのではなかろうか。

石舞台の底に涼しき光さす高井美智子

 5月中旬に春耕と雲の峰の合同吟行会で作られた作品のなかの一句である。句の対象である石舞台古墳は飛鳥寺などとともに今回の飛鳥路のハイライトといえる場所である。(春耕は8月号の口絵の写真参照)
 蘇我馬子の墓ともいわれるこの石舞台、地上の外観や地下の玄室などの石の大きさにまず圧倒される。
 掲句は石棺が安置されていた内部を詠んだもの。地上からの隙間からもれる光は涼しい神秘性を湛えていたと詠む。悠久の歴史を美しい一句に仕立て上げた。

報道の飢餓の子の眼に蠅の群沖山志朴 

 ニュースや時事問題などを俳句の材料にするのはあまり好まないが、この句にはどうしても関心を持たざるをえなかった。
 日々、中東のガザ地区の戦闘で犠牲になる幼い子供たち、骨と皮だけになりながら必死に大きな眼で何かを訴える姿。そして群がる蠅を追い払う力もない哀れさ。ニュースの画像は全世界に発信され、何億人の人達の同情を呼び救援物資は集まるが、その輸送を阻む勢力が邪魔をする。この閉塞感、何とかならないか。

茶柱に話膨らむ夏はじめ𠮷村征子

 俳句という文芸、この句などはやはり女性が作られた作品だと合点がゆくものだ。ご近所の奥様方が2,3人玄関先の挨拶で始まった会話が興に乗りちょっとお茶でもと場所を移してのお茶談義。茶柱が立っただけでもそこから延々と話は膨らんでゆく。男にはできないこんな俳句を詠むのも女性の特権だ。清々しい立夏のひと時を詠まれた一句である。

八十八夜棚田煙雨の水湛ふ大西裕

 八十八夜、立春から数えて88日目にあたる日で5月2,3日頃にあたり農家にとっても諸作業の目安にあたる大切な区切りとされる。「八十八夜の忘れ霜」といわれるように霜の害の心配もなくなり稲作への準備に拍車がかかるようになる。詠まれた句、大きな規模の棚田であろう。見渡すかぎりの小さな田には水が張られうっすらと煙のような雨が被う。晩春から初夏の複雑な、それでいて情趣深い自然の光景が忬情豊かに詠まれている。

桜の実かつて上野は始発駅坂口富康 

 上野駅は現在では新幹線などの運行などで途中駅となったがその昔は主に東北方面への始発駅であり、終着駅でもあった。
 句の作者にとってはその頃の上野駅に何がしかの思い出があるのだろう。私がふと思い出したのは集団就職列車のこと、都会に夢を託した若者たちは桜の実がなる頃、始発列車を眺めて何を思ったことか。 

医学書を閉ぢて開きて明易し飯牟礼恵美子

 かかりつけのお医者さんが、近頃の患者さんは病気に関する知識や情報を驚くほど持ち合わせていると苦笑交じりに語ってくれた。という自分もパソコンなどを開いて心配ばかりする。この作者も自分の病気を医学書で調べていたら夜明けを迎えたという。すべては医者にまかせていてもこの思いは充分理解できる。