「晴耕集」9月号 感想                              柚口満

子燕の声にめざめる早き朝堀井より子         

 春も後半になると日本にも燕がやってくる。そして家々の軒などに巣作りをはじめ、子を産み子育てに励む姿が随所にみられ、我々はそんな庶民的で活発な姿に愛着を持つのである。
 この句も、作者の家の近くに燕の子が誕生してからの日常を詠んだもの、東の空が明るい頃になるともう、巣の中の子供たちが親に食べ物をせびる声を元気に賑やかに発し始める。こんな声が作者の日常生活に馴染んできたことが伺える一句である。

夏うぐひす語尾はきはきと雨の中沢ふみ江

 鶯の鳴き声に注目した一句。冬の笹鳴きはまだ稚拙の域を出ないが半月もすれば徐々に整い始め2月の頃の初音を聞くのは嬉しいもの。そして3月には美しい正調が聞けるのである。
   この句の作者は老鶯と呼ばれる夏うぐいすの声にその透明感のある声に感動している。「ホーホケキョ」の「ケキョ」がはきはきしていたとすれば何となく納得する気もする。街なかから高原に帰り雨の中での鶯の声、まもなく美しいこえから遠のくことになる。

瓜揉みの他は浮かばぬ夕支度萩原まさこ

 今年の猛暑はすごかった。大切な用事以外の外出は極力控えた毎日であった。
 そんな日々の中で、朝や昼もそうだがことに夕食の献立には悩んだのが主婦の方々だったのかと推測する。この句もさっぱりとした胡瓜揉みしか頭に浮かばない、と述懐する。私なども家内から今日の夕食は何にする、と聞かれることがあるが、特にないと言って、困らせている。たまにはその大変さに感謝しなけばならない。

湯上りの何よりまさる団扇風岡村優子

 夏の季語である団扇、その種類は思ったより多く、傍題には白団扇、絹団扇、渋団扇の素材本意のもの、奈良や京、岐阜などの地名を配したものもある。団扇は扇がよそ行きとすれば普段に使い寛ぐにはもってこいのツールといえよう。
 掲句は、湯上りのひとときには団扇の風が一番だと激賞する。なるほどクーラーや扇風機と違い自分の手で自由に操れるのは便利で嬉しい限りだ。私は腰の強い渋団扇がお気に入りだ。

草刈女真白き喉の喇叭飲み実川恵子 

 作者の実川さんは茅ヶ崎在住だが大学の先生を退職後は長野県八ヶ岳山麓の山荘生活が徐々に増えているらしい。
 その山荘近くで作られた嘱目吟がこの句である。句の眼目は中七の「真白き喉の」という写生、発見である。俯いて作業する女の人は顔は灼けていても喉は意外にも白いのに気が付き、その喉が美味しそうに水を呷っていたと詠む。的確な描写が新鮮だと思う。

溝浚へ巷のうはさ語りつつ伊藤洋

 夏を迎えて人家の周りの溝を町内会で浚う作業が溝浚い。汚れた溝が蚊や害虫の温床にならないために休みなどに合わせて総出で行うのである。
 最近は隣近所の付き合いも薄くなるなかで、こういった集まりは貴重なもので作業中には様々な話が飛び交うのであろう。最近の世相や下世話な巷の話が出るのもご愛嬌か。なにげない市民生活の一端を捉えた一句である。

苗箱を手渡すだけの田植かな大塚禎子

 半世紀を遥かに越えて農作業に従事してこられた作者が最近の実情を実感を込めて作られた一句だけにその環境の変化が手に取るように分かる一句である。
 時は田植えの季節、従来であれば苗を手作業で水田に植える重労働があったが、いまは田植機という魔法のようなマシーンが出現、その機械に苗箱をセットするだけで広大な田の田植えは短時間で終わってしまう。
 こうしたことは稲刈りも同様。実り田に入ったコンバインが全て解決してくれる。ちなみにコンバインは収穫脱穀同時作業機と訳される。

香の消えし渡仏記念の香水瓶上野直江 

 男性が香水の俳句を作るとは珍しいなとも思ったが何かそこには興味津々な物語がありそうだと勝手に決め込み鑑賞をしてみた。渡仏記念とあるからには特別なフランス行である。直感でこれは新婚旅行の地にフランスを選んだのではと想像。新婦に最高級の香水をプレゼントしたのでは。その香水瓶は香こそ消えたが奥様が大切に保管されているのでは。 

草書から楷書に代ふる夏座敷坪井研治

 夏座敷、マンションが多い都会ではあまり経験できない部屋である。襖や障子をはずし広々とした畳の間、田舎の住まいが懐かしく偲ばれる。この句も床の間の掛軸を夏を迎えて草書から楷書に代えたというのだ。贅沢と余裕が感じられる一句。大座敷の真ん中で手足を存分に伸ばして昼寝を楽しみたいものだ。