「晴耕集」2月号 感想                              柚口満

田の神の旅立ちか野につむじ風 池内けい吾

 陰暦の10月は全国の神社の神々が出雲大社に集まるといわれ俳人たちは神話の魅力にひかれて「神の旅」を句にする人も多い。
   出雲に集結した神々が談合する内容が縁結びについてというのも興味を引くところである。
 作者は野に立つ一陣の風をみて神様はこの風に乗って出立されたのだ、と咄嗟に感じた。わずかな気象条件、自然現象を捉えて神の旅を想像するのも楽しいものである。

大地より池の明るし寒の月乾佐知子

 冬の月の傍題に寒の月も含まれるが、その趣はおのずと違ったものになろう。秋の月の本意は澄み切った透明感、晴朗さにあるが、寒の月には凍てつく空気の中の厳かな冷たさ、極限の清冽がある。
 掲句は広大な大地を俯瞰の目で詠んだものだろう。大地は半ば闇に包まれていたが大きな池は極寒の強い月光を吸い、そして反射して特異な光に輝いていたという。大自然からもらった素晴らしい景に感謝である。

鳴く虫のどれかにたしか妻のこゑ 伊藤洋

 作者の洋君が北海道の石狩に居を移してから何年になるだろうか。今は遠方から投句をしてくれ、その作品のなかに近況を偲ぶばかりとなってしまった。   
 この句は今は亡き奥様のみどりさんを思い出しての一句である。冬の到来を前に北の大地に一心不乱に鳴く虫の数々、その中に妻の声を確と聴き留めたと詠む。幻聴といえばそれまでだが何故か説得力のある捉え方である。その昔、八ヶ岳山麓の山荘に夫婦で住んでいたころの秋の夜の思い出が背景にあるのかもしれない。

木の葉散る戦禍を幹に探す間も 浅野文男

 先の大戦、太平洋戦争の戦火で被害を受けたのは人間ばかりでなくあらゆる物が含まれた。それは筆舌に尽くし難い未曽有の惨状でもあった。
 この句はその戦禍を受けた木々が今でも健気に生きているさまを一句に詠み込んだものだ。大木の幹に黒ずむ焦げた跡は痛ましいが、生い茂る葉は今、しきりに紅葉となり美しく散っていた。
 この句を読んで浅草寺の戦火を生きぬいてきた銀杏の大木を思い出している。

紙小判夜風に舞へり三の酉 中島真理

 酉の市は一の酉、二の酉、三の酉とあるがこの句は三の酉の本意をわきまえて作られたもの。三の酉ともなると世の中は冬へ、そして年の暮れ、新年へと一段と慌ただしさが増してくる。
 酉の市で人気のあるのはもちろん熊手。熊手の中には縁起物のおかめを中心として松竹梅、鯛や打出の小槌等々飾られるが目につくのは大判小判の金のきらめきだ。市の終盤をむかえ深更の夜風に舞う小判の揺れは三の酉の風情をいやがうえにも盛り立てる。

細やかに時にばさりと松手入 田中里香

 庭の樹木の中でも松の手入れは一番難しいともいわれ、本職の植木屋さんに委ねるのが本筋とされる。
 秋の中ごろになると新しい葉が育ち始め古葉は赤ちゃけて処分される。また余分な枝を剪定する目ももたなけらばならない。
 その辺の職人の鮮やかさを上五、中七に詠み込んだのは見事である。平凡な写生眼を一歩抜け出すとこのような佳句につながってくる。

ぎこちなき指三本や七五三 坂口富康

 11月15日の七五三、数え年の男子は3歳と5歳、女子は3歳と7歳がその成長を願って祝われる。
   さてこの句、最初一読したときは、ぎこちなき指三本や、とは何んだろうと一瞬思ったのだが、そうか、3歳を示す指3本だと気付くに到った。
 幼い3歳児が年齢を聞かれ小さな指をぎこちなく示した晴れ姿、うれしそうな両親の姿が浮かんでくる。

野仏の辺り冬至の日矢明かり 上野直江

 冬至という季語、言われるように北半球では太陽がもっとも遠ざかり昼間の時間が最も短い日である。我々は冬に至るということで来るべき長い冬を考え気分が萎える感じを持つ。しかし、古代中国ではこの日から陽気が復することから「一陽来復」とよぶ。
 石仏に差す冬至への日矢、一条の陽は再びの望みの明かりと捉えたい。

木の実降る廃村森に還りけり 仲間文子

 晩秋になり団栗の類に属する樹々がその実を地上に落とす。随分前に廃村になった土地にも毎年律義に実を落しながら芽を出し森を盛り立てている。木の実降るという季語の作品としては、ひと味違った視点で詠まれていて注目した。
 作者の仲間さんは沖縄の方、あの戦禍の焦土から緑を再生した木の実の蔭の支えに思いが飛んだ。