「晴耕集」3月号 感想                              柚口満

壁の絵の少し曲がつて十二月升本榮子         

 1年の最後を締める月が師走、12月である。この季節を迎えると、我々社会の第一線を退いた者も何かと慌ただしい雰囲気を感じるようになる。そんな微妙な12月を変わった視点で詠んだのがこの句である。
 普段見慣れた我が家のお気に入りの壁の絵が少し曲がっているのに気が付いたというのだ。この詠みかたの新味がこの句の眼目であろう。中七の「少し曲がつて」に玄関を飾り続けた絵画への労わりが伝わる。類想を寄せ付けない佳句といえる。

新巻をもてあましけり核家族堀井より子

 最近の「新巻」事情を詠んで実感の籠る一句となっている。
 昭和の時代、塩鮭を上等な菰で巻き上げたお歳暮の贈答品が届くと一家揃って喜んだものだった。典型的な保存食品でもあり貰った方も嬉しかった。
 しかし、どうだろう。最近はお歳暮に新巻という図式は影を潜めたのではないか。この句にあるように親子4人ぐらいの核家族では大きな新巻は持て余し気味になることもある。

羽子板市今年の顔にひとだかりふみ江

 年の暮れの風物詩のひとつに羽子板市がある。それに先立ち恒例の催しとして老舗の人形店が今年の変わり羽子板を発表する。今回はお馴染みの米・大リーグの大谷翔平選手や陸上、やり投げ北口榛花選手、石破首相などが選ばれていた。
 これらの羽子板は浅草寺の羽子板市で披露され、市を訪れた人たちが群がりその話題で賑わったようだ。歳末の一風景を軽いタッチで描いた一句。

白菜を樽に鳴らして漬け込めり倉林美保

 白菜、キャベツ等の高値が話題になった冬であったが、この句はその白菜漬けの様子を詠んだものである。
 小生は白菜漬けが大好物で、これだけでも御飯1杯を苦も無く食べられる。
 と、いいながらその漬け方には疎くて大きなことは言えないが掲句を詠むだけで食欲が湧いてきた。天日干しした白菜を樽に交互に詰め込むときの音の描写が細やかだ。重石をして2日間、水が上がったら更に軽い石に替えて3日間で完成だ。昆布や柚子、鷹の爪等々の隠し味も腕の見せ所なのだ。

勝独楽のゆつくり色を戻しけり 沖山志朴 

  今は独楽で遊ぶ少年たちの姿をあまり見かけないが、その昔は独楽の回り続ける長さを競ったり、この句のように回る独楽を弾き飛ばして勝負をつけるなど、一世を風靡する遊戯であった。
 この句の眼目は中七から下五にかけての、ゆっくり色を戻しけり、である。派手な色どりの独楽2つが勝負を挑むべく高回転で回りだすとその色は灰色のようなくすんだ色になるが、ぶつかって転んだ独楽はもとの色に戻る。そして勝った独楽は悠々と回りながら、ゆっくりと自分の色合いを出しながら勝ちを誇るのであった。独楽好きな作者、写生の眼は健在である。

落葉踏む音は言の葉翁の忌深川知子

 陰暦の10月12日は俳人、松尾芭蕉の忌日である。51歳で没した芭蕉は滑稽の文学であった俳諧の貞門、談林を革新、蕉門を確立して現在の俳句にも大きな影響を与えている。
 そんな芭蕉忌、翁忌の日に作られた一句である。時、あたかも落葉の季節、落葉を踏む音の様々な違いを実感しながらその音、すなわち言葉に思いを馳せている。俳句には言の葉が命である。

寒鯉の藁に包まれ届けらる坂﨑茂る子

 田舎に住んでいた頃に寒鯉をもらったことがある。寒の鯉は水の底に動かずにいるために釣るのが難しく貴重なものだった。その上、寒中のものは身が締まっていて美味しいので嬉しい一品であった。
 掲句はそんな逸品が藁に包まれて届いたと活写する。あるいはまだ動いていたのかもしれない。養殖ものでは長野県佐久の鯉が有名である。

海いづるとき揺れうごく初日の出大林明彥 

 元旦の朝、早く起きて初日の出を拝むという経験は数多くないが、ある時、外房の民宿に泊まりその日の出を待ったことがある。水平線から現れるまでの時間待ちに難義した。日の出の瞬間はこの句のように静かに揺れながら登りはじめ、海を離れる刹那の粘りが印象に残る。大きな初日の揺れがお目出度い。

初蝶来一行増やす日記かな鈴木幾子

 初蝶を詠んだ虚子の「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」はつとに有名である。
 この句もそんな初蝶をみた感激ぶりを表した一句である。新しい日記を付けだして迎えた早春、日頃の出来事の他に、特に初蝶を見たことを1行書き足したというのだ。俳人なら良くわかる心境である。