「晴耕集」12月号 感想                              柚口 満

法師蟬名残のこゑを絞り出す倉林美保         

 秋の蝉で代表格とされるのが法師蝉と蜩である。両方に共通するのは鳴き声に特徴があることだ。蜩は蝉の中では抜きん出た美しい声で鳴き、法師蝉は一連の音律があり序章を経て終章までの変化がある。
 掲句は法師蝉の一句。繰り返される声に注目、ジイジイで始まりオーシイツクツクを数回繰り返し、そしてツクツクボーシと3度鳴きジーで締め括る。そのジーをまるで絞り出すようだと捉えた。地上に出て数日で死んでゆく法師蝉への措辞であり哀れみである。

大根蒔く雨の気配の風を背に高野清風

 大根は春蒔きと秋蒔きがある。掲句は秋蒔きであろうか。この時期は乾燥するので気候を選ぶのが大きなコツとされる。雨の後か、あるいはその直前が良い。幸い今は気象情報がかなり詳細まで知らせてくれるのがうれしい。
 作者は畑仕事には精通されている。雨の気配の風を背にうけて種蒔きを開始、風を背に受けることも勿論計算済みの行動だ。

鶏卵も野菜も小振り残暑なほ酒井多加子

 世間の物価高の悲鳴が聞こえてくるような俳句である。ここ数年、地球の温暖化等の影響で気候が安定せず、この夏は初夏から初秋まで猛暑に悩まされることとなってしまった。
 鶏の卵は小振りに加え鳥インフルエンザで生産数が落ち、はたまた野菜のほうもびっくりするような高値が付いた。
 加えてこの残暑は我々老体の身に残酷なダメージを残すこととなった。

乳重く帰る牧牛草の花沖山志朴

 広大な秋の草原の牧場に放し飼いされている乳牛の群れ。何のストレスもなく終日を気ままに草を食んでいる光景が見えて来る。
 乳牛の飼育に関してはズブの素人であるからこれはあくまで想像であるが、このような環境に身を置く牛は夕方にもなると見事に乳房が張ってくるのだろう。咲き乱れる名もなき草の花のなか番人に誘われ牧舎へ帰る乳牛、実りの秋が醸す豊穣感に満ちた一句。

暮れなづむとき薄野の黄金いろ伊藤洋 

 北海道は石狩にお住いの伊藤洋さんの作品、お母さんの面倒をみるために石狩に帰られて数年が立つ。最近の作品からはすっかりと当地に融け込まれた句が見受けられるのは嬉しいことである。
 石狩平野の芒の原の夕景を詠んだ一句。短い秋を謳歌するべく広野に群れる芒に落日が早くも暮色を深める。その刹那の黄金色はまさにゆく秋を惜しむ光景であった。

まほろばや名月は今塔のうへ深川知子

 まほろばという古事記にも出てくる古語を上手に上五にもってきて格調のある俳句に仕上がった。具体的にいえば奈良の著名な寺社の塔を示せばよいわけだがそれだと絵葉書的なものになってしまう。
 まほろばとしたことで、奈良の悠久の歴史を偲びながらの名月の一句となった。短冊に書いても映える句といえようか。

秋晴に働く無人精米機望月澄子

 昨年は「米」に翻弄された一年だった。米の需要が思いのほか高まり米不足に、備蓄米で高値を押さえたものの政権が変わると今度は「お米券」騒動。
   なんやかんやで町なかの無人精米機は大繁盛、秋晴れの季語が皮肉にもよく効いている。

戸を繰れば朝の匂ひや草雲雀大西裕 

 草雲雀が秋の虫の名前だと知ったときは驚いた。1センチにも満たない小さな虫でフィリリリと鈴を振るような声を出す。朝方に儚く美しい声で鳴くので、関西の方では「朝鈴」とも呼ばれる。雨戸を繰った時に聞いた草雲雀の声、素晴らしい一日の始まりだ。 

秋灯下机を持たぬ父と母本間ヱミ子

 戦中、戦後に生まれた父や母の時代には家の中に自分の机などほとんど持っていなかった。ましてや自分部屋さえ無かったのだから。
 秋灯下での現在の子供たちの生活を見るにつけ、あの時代の父と母に心を寄せる一句である。

新涼の水でざくざく米を研ぐ濱中和敏

 新涼という季語が新米というものをも連想させる一句である。残暑も収まり疲れた身体も徐々に回復しつつある。新米も出てきた。
 ざくざくと米を研ぐ音が小気味いい。一句のなかのそれぞれの言葉の選択の妙が的確だ。