「晴耕集」1月号 感想                              柚口 満

身に入むや深酒止むる妻の遺書池内けい吾         

 作者の池内さんとは長い付合いがある。職場が同じ時代もありお酒を一緒に飲む機会もずっと続いている。
 奥様が大分前に亡くなり今でも最愛の人を詠む俳句を時々拝見する事がある。その夫人の遺書に深酒を慎しむ様にとの一文があったとは初めて聞いた。ひととき単身赴任で東京を離れられた事もあり夫人としては心配だったのだろう。書き残された手紙を読むにつけ健康のために深酒を慎しむ一節は身に入みるのである。でも彼にとってお酒が飲めることが健康のバロメーター、これからもほどほどに、をモットーに交流を続けたいと思う。

どの家も捥がざるままに柿たわわ朝妻力

 ウォーキングをしていて掲句のような光景に出会わす事があり気になっていたところ、一句に詠んでいただき嬉しかった。気になった事を俳句に詠むことは重要なことであることを改めて認識している。
 さて、柿の一件である。柿の大木が真っ赤な実をつけたまま放って置かれているのは何故なのか。柿を喰うのが面倒なのか、捥ぎ手がいないのか、不思議である。昔なら隣近所にお裾分けして喜ばれたものだが。突き詰めてみると面白い訳があるのかも。

綿虫の行く末いつも見失ふ杉阪大和

 綿虫の俳句を詠んだ方は多いだろう。初冬の曇った空を飛ぶさまが雪の降るようだ、と見立てて作られた名前である。
 アブラムシ類の一種とされるが実際手にとって観察をしたことがないので詳しくないが、掲句にあるように飛んで行く末を見定めたことがない。そんな事に共感を覚える一句であると共に綿虫の神秘さをも連想させる。

瀬戸内の島を影絵に秋夕焼高井美智子

 瀬戸内は何回か旅したことがあるがその内海に点在する島々の多さ、形の違い等々見ていて飽きないものがあった。
 ましてやこの句にある様に秋の夕焼けを背にした景はことに素晴らしいものであったのだろう。すぐに褪せる秋夕焼けだけにその印象はより強かった。

鵙高音欅大樹の武蔵ぶり中島八起 

 鳥類のなかでも鵙が俳句に詠まれることが多い。留鳥とはいえ秋を代表する鳥でありあの甲高い声を発して大樹の天辺で鳴く様子は個性派の代表かもしれない。
 武蔵野の大欅というから樹齢数百年にもなる欅であろう。そのいただきで声の威を張る鵙が印象的だ。地名の武蔵が効いている。

ままごとの廃れて淋し赤のまま松谷富彦

 この一句を読んですぐに脳裏に浮かんだのが星野立子が大正15年に作った〈まゝごとの飯もおさいも土筆かな〉であった。そういえばままごとという遊びをとんと見かけなくなった。子供達の遊びも今やゲームが中心となり様変わりした。
 掲句はその感傷を込めた作品で土筆や赤のままもままごとの舞台とは無縁なものになってしまった。

星近く住み深秋の薪を積む𠮷村征子

 一読してこの句の舞台を想像してみた。星近くであるから高山、あるいは高原が頭に浮かぶ。季節は冬間近か、木々は葉を落とし日に日に寒さがつのってきた。冬の星座が次々と形を整え出している。そんな環境の中で生活必需品の薪を割り庇の下に積む作業が黙々と続く。人里離れた庶民の生活を静かに描いた佳句である。

華美なほど怖いと茸鑑定士上野直江 

 色鮮やかな茸は毒があるという俗説があるがどうなんだろう。しかし見栄えのするものは注意とは誰もが聞いた記憶をもつ。鍵和田秞子に〈毒茸を蹴つて前後に誰もゐず〉という面白い句があるが、やはりここは君子は危うきに近寄らずといったところか。それにしてもほんものの松茸の高値は変わらず高嶺の花である。 

冷まじや無念数多の遺書遺影八木岡博江

 前書きに知覧特攻平和会館とある一句である。鹿児島県の知覧は第二次大戦中に特攻隊の基地があったところで、多くの前途ある若者たちが敵の空母や飛行機に体当たりをして尊い命を失った。
 私は半世紀前に当地を訪れ、テレビの取材を行ったことがあるが出撃前夜に書いた若者たちの遺書には涙を禁じ得なかった。句の作者も遺書遺影の前でその痛ましさに身がしみる思いだったのではないか。