仏生会お練りは和讃唱えつつ川澄祐勝
木の葉猿何にかくるや木の芽晴高木良太
「晴耕集・雨読集」4月号 感想 柚口満
初電車川渡るとき富士見えて池内けい吾
歳時記の新年の部には「初」のついた季語が多いのに気づく。年が改まり新たな気分を愛でる日本人の気質がよく出ていると感じるのである。
「乗初」の傍題には掲句のように初電車、初飛行、初車等々新年になり始めて乗り物を用いたものがある。この句は初めて乗った電車から見えたのが富士山だったと詠んでいる。
川の向こうに端坐する真っ白な富士山、「こいつは春から縁起が佳いわいなあ」といったところか。
薪いぶる杣家の茶の間小正月阿部月山子
一月一日から七日間を大正月というのに対し、一月十五日は小正月と呼ばれ農家の予祝行事が行われる。成木責めや左義長、土竜うちなど農事の吉凶を占ったり、豊穣を祈念するのである。
この句はその小正月を詠んでしみじみとした余情が醸しだされている。山峡の杣の家では茶の間の炉に薪が焚かれ穏やかな日の光に紫の煙が美しい。新しい年を迎え一家揃って落ち着いたスタートがきれた安堵感、平和な一風景だ。
昨夜の雨音なき雪にかはりけり古市文子
昨日降っていた雨が今朝起きてみたら雪になっていました、では俳句としてはいたってつまらない。この句の強みは、極論すれば、雨が雪になってゆく瞬間が感じられることにある。寝付かれぬまま深夜になったとき、先ほどまで音を立てて降っていた雨がはた、と止んだ。そういえば冷えてきたようだ。でも何か落ちる気配はする。そっと雨戸を繰ってみれば外は雪に変わっていた。作者は雨が雪になるのを頭でなくはっきりと聴覚で捉えたからこそ佳句に結び付いたのだ。
寒紅をひきて八十路の背を伸ばす奈良英子
寒中に作られた口紅は質が高いとされる。特に丑の日に売りに出される「丑紅」は小間物屋で客の人気になったという。
紅は高句麗の僧が伝えたというが一般的に用いられるようになったのは江戸時代になってからといわれ、紅花で有名な最上紅が重宝される。
さて掲句、寒中に紅を引いて八十路もなんのその、背筋をしっかり伸ばす自分を詠んでいる。寒気の中でひと刷けの紅が凛と引き立つ。
焼畑の狼煙めきたり瀬戸の島安原敬裕
瀬戸内海には大小合わせるとどれぐらいの島が存在するのだろうか。島の規定に当てはまるもの七百余、無人島や周りが極く小さいものを入れると三千島もあるといわれる。
その島々の小高い所では畑を焼く煙が何本もあがっているのが見てとれる。畑焼は早春の到来を告げるものであるが、この作者には狼煙のように見えたという。
鎌倉時代からの戦国時代、瀬戸内には河野、村上などの水軍が跳梁跋扈していた。そんな歴史を踏まえての狼煙という見立てであろう。瀬戸内海は様々な歴史を秘めている。
友見舞ふ手の冷たさを先づ詫びて 阿部美和子
冬の季語に「冷たし」と「寒し」がある。「寒い」が大気の全体感を指すのに対し「冷たし」は掲句にあるように体に直接触れて感じられるものである。
この句の作者は雪の中を病院に友の見舞いに出向き、手の冷たさを先づ詫びてから手を握ったという。患者にはその心遣いも嬉しかったが、何より寒さのなかをわざわざ来てくれた友に感謝感激したのであった。
寒林や音の隠るるところなし大溝妙子
寒林の本意を面白い把握で捉えた一句である。冬木立と寒林とは少し感じが違うように思う。寒林は林であるからある程度の広さがあるし何といっても寒という語感からくる凛とした寒さが内包されている。
この句、中七から下五にかけて「音の隠るるところなし」の表現が類想を寄せ付けない。葉を落として木立ちだけの林はどんな音をも濾過して静寂そのものだったのだ。
雪形が出たと寄合散会に小池伴緒
仲春を迎え山腹に残る雪の形を雪形といい昔はこの形で田植えや種蒔きの時期を知ったといわれる。北アルプスは爺ケ岳の「種蒔き爺さん」、白馬岳の「代搔き馬」をはじめ各地にはいろいろな名の雪形が残されている。
村の寄合でその雪形が確認され、集まった農家の人々がひとしきり話題としたあと明日の作業に備えて早々と散会したという。昔を思い出しての句かと思うが、寄合の次の日には村中揃っての田植えが展開されたのだろう。
傷みたるラガーの顔に水かける佐久間洋子
最近のラグビー熱、人気はすごいものがある。そのきっかけとなったのが昨年のワールドカップで日本が強豪南アフリカを破る大金星をあげたことだった。以来五郎丸フィバーや聖地秩父宮ラグビー場の盛況など話題にことかかない。
かくいうこの句の作者も最近ファンになられたのだろう。顔面に怪我をした選手には荒っぽく水をかけるなど、荒々しい光景に驚くとともにその迫力に魅了されたのだ。そうそう昔は「魔法の薬缶」の水をかけられ、選手が瞬時に蘇っていたのを思い出す。
探梅や駒返してふ橋に佇つ 多田美記
全国には駒返し、あるいは馬返しという地名が散在する。この地名の由来は山登りで馬を返す地点、つまり山道が急坂になったり狭くなりそれ以降は徒歩であるいた、という地点ということになる。
春に先駆けて早咲きの梅を探りに来た作者、やがて駒返しという橋に出くわしたという。谷に懸るこの橋、あるいは歴史上、所以のある橋だったかもしれない。「佇つ」にそれを偲ぶ姿がみえる。このあと探し求めた梅にも出会えたのだろう。
葛湯ふく深夜放送聞きながら 橋本公枝
しみじみとした生活感が醸しだされている句である。なによりも最近では影が薄くなった葛湯の存在が懐かしい。葛の粉に砂糖を加え熱湯を注いでまぜると糊状の半透明の飲み物が出来上がる。滋養があり体も暖まるため子供や老人は好んで食したものだ。
取り合わせの深夜放送もいい雰囲気の設定だ。もちろんこの放送はラジオ、寝付かれぬ体を暖かい葛湯で癒し、軽く聞き流してゆくラジオの音楽。至福の時間が眠りを誘う。
雪女郎垂氷で髪をくしけづる吉田百合子
雪女の傍題には雪女郎、雪鬼、雪の精などがあり、雪国での想像上の妖怪とされるものである。大抵のイメージは白い肌に白装束、長い黒髪を有し容姿の美しい女とされる。
全国的、それも長い期間雪が降り続く豪雪地帯などに少しずつイメージの違う雪女伝説が伝わるがこれもその雪に対する畏敬の念から生まれた物語と解釈すべきだろう。
さて、この句はその雪女郎がその長い黒髪を垂氷、つららで「くしけづる」と大胆に詠む。架空の妖怪を詠むのであるからこのぐらいの飛躍の表現がかえって決まるのである。
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