盤水碑誰が植ゑられし紫蘭とも川澄祐勝
古市枯声氏の訃報に接し
どうだんの花咲きし日や訃報受く高木良多
「晴耕集・雨読集」五月号 感想 柚口満
腰越の浜に湯気あぐ白子かな堀井より子
鎌倉の早春の風物詩に白子漁がある。俳人でなくても鎌倉や江の島詣でのついでに白子丼を食された方は多くおられるのではないかと思う。
この句は義経の腰越状で有名な腰越の浜の白子の釜茹でを詠んだ一句。漁で上がった白子は生でも美味ではあるが多くは大釜で茹で上げ店頭にならぶ。いうまでもなく茹でたての新鮮なものがよく一夜置いてしまうと極端に味がおちる。浜のおちこちに白子の湯気が上がると鎌倉の春を実感する。
角折れし栄螺傾ぎて煮たちけり井水貞子
この句も春の浜辺での嘱目吟であろう。特異な突起を持つ栄螺の食べ方はなんといっても壺焼きが一番、殻つきの栄螺を網で焼き、塩や醤油をかけて煮立てるのだ。熱が入ってくると栄螺の蓋が開き潮の香とともに香ばしい匂いが鼻をつく。たまらない一瞬だ。掲句はその角が熱で損傷して大きく傾ぎ、栄螺の中の汁が煮立ちこぼれたところを詠んだ。いやがうえにも食欲をそそる一句となった。
鏡屋の百の鏡や冴返る岩田諒
この句の作者、岩田諒さんは先ごろ第四句集『存在乃家Ⅳ』を上梓され本誌の六月号ではその特集が組まれた。第一句集から句集名を存在乃家で通され、ナンバーが今回Ⅳに達したことをお祝いしその旺盛な作句意欲に敬意を払いたい。
さてこの句は冴返る、という季語を用いた一句。冴える、には寒さを感じさせる色や光などが内包されているのであるが設けられた舞台が鏡屋であることが先ず素晴らしい。店の数えきれない鏡が、その光を発光させ冴え返っている、と喝破した。先月号の岩田諒論のなかに「硬質な忬情」という指摘があったがそのことを思い出している。
梅東風に和する風鐸ゆるやかに池野よしえ
梅東風という季語で思い出すのが菅原道真が詠んだ「東風吹かばにほひをこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」の歌で、日本人の心を捉えてはなさない一首である。かように梅の花の咲くころの東風は暖かいとまではいかないが春の到来を確実に感じさせるもので凛と咲く梅とあいまって胸が躍る感がする。
掲句は想像するに作者が初春に俳句大会に参加された高幡不動での作と思うがどうであろう。境内の紅白梅に吹く風が五重塔の風鐸におよびゆったりとした音を奏でていた。美しい一句である。
上がり框に猟銃と蕗の薹唐沢静男
動詞を使わず省略の効いた佳句である。季語の蕗の薹と猟銃の取り合わせがまず新鮮だ。おそらく猟師の家の玄関の上がり框であろう。そこに置かれていたのが猟銃と蕗の薹だった、という。この猟師の獲物は如何ほどかは分からないが、銃の傍らには数個の蕗の薹が置かれていた。家に持ち込んだささやかなお土産だ。猟師の人柄のほか、さまざまなドラマが連想される句である。
薪減りし軒へもれ来る春灯岡村優子
生活の実感が垣間見える一句である。長い雪国の冬が続き秋に軒の高さまで積んでいた薪がどんどん減ってゆく。しかしその減り方はいわば春へのカウントダウンでもある。軒の窓が露わとなりそこから漏れてくる暖色の春のともしび、雪も溶けて待ちに待った春の到来だ。薪の減り具合という事象にものを語らせてしみじみとした忬情を醸しだした一句である。
種袋ふれば喜ぶ気配あり長谷川雅男
振ればまた音こぼれ出る種袋浅野文男
種袋を季語としたふたつの句を取り上げた。昔は自家製の種をひと冬乾燥させて作ったものだが最近ではお店で売って入る袋の種を蒔くことが多くなった。袋に入った穀物や野菜、草花の種、考えてみると不思議な存在感がある、この軽い一粒の命から実が生ったり花が咲いたりすることを想像すれば尚更である。そんな思いを両句はよく表している。雅男さんは振った種袋の種が喜んだ気配がしたという。一方の文男さんは種の音がこぼれ出そうだったと述懐する。いずれにしてもその袋を通した種の触感や振った時の音感から実感した思いだ。乾燥していても種は生きているということだろう。
唐橋に差し入る朝日蜆舟伊藤洋
近江の瀬田の唐橋周辺を拠点とした瀬田の蜆は昔から品質で有名であったが最近ではその収穫量が激減している。全盛時の昭和三十年代に比べその量はいまや百分の一以下という減産だそうだ。
この句はその蜆漁へでる早朝の舟を詠んでいる。近江富士の後方から出た朝日が唐橋に当たる頃蜆舟が一斉に出てゆく。何年も前から繰り返されてきた美しい風景だ。蜆漁の関係者は資源の復活にむけて懸命な努力をしているそうだ。
鬼やらひ心の鬼をまづはらひ青柳園子
宮中で行われていた「追儺」が民間にひろまって、いわゆる節分の夜の豆まきとなった。善男善女は「福は内、鬼は外」と連呼して邪気を払うのだ。
この句、自分の中にはもともと鬼がいるとした設定が面白い。鬼、いいかえれば自分の邪心をまづ自分から追い出してそして自宅の中の鬼をだし、最後に沢山の福を招き入れた。
和菓子屋にけふから並ぶ桜餅内海トミコ
掲句を読んでとっさに浮かんだのが富安風生の「街の雨鶯餅がもう出たか」という句であった。鶯餅も掲句にある桜餅もいわば期間限定の季節の和菓子でありそれを見ると人々はその季節の到来をとっさに感じるのである。いつもの和菓子屋さんに桜の葉に包まれた淡いピンクの餅をみつけた瞬間の嬉しさが素直に表現されている句。
下京や残る寒さの数珠屋町川野喜代子
印象的な数珠屋町という固有名詞を効果的に配した一句である。京都の東本願寺と西本願寺に挟まれた狭い一角に数珠屋町があり、仏壇や仏具、法衣などを扱う店が軒を連ねている。
季節は早春、玻璃戸越しに仏壇ほかのものを扱うお店に人影は少ない。両側はすべて同じものをあつかう特異な町の雰囲気が残る寒さを一層募らせる。もう一と月、彼岸を迎える三月ともなれば俄かに活気づく町である。
山桜鯉抱き移す山の池藤原正夫
山の中にある池の改修工事であろうか。工事の前に昔から棲んでいる魚類を一時捕獲しての別の所に移そうとしている場面である。特に巨大な鯉を移す場面が印象的で、「抱き移す」にその辺がうまく表現されている。季語の山桜も効いていて、ソメイヨシノや八重桜などではそぐわない。
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