「晴耕集・雨読集」11月号 感想  柚口満

新世界とぞ昼酒に鱧の皮伊藤伊那男

 鱧は7、8月の祭の頃が旬とされ関西では夏の代表的な魚とされる。この頃の鱧の皮は脂がのっていて焼いて細かく刻み胡瓜と二杯酢で和える。
 掲句は新世界、昼酒、鱧の皮の三点セットが実にバランスよく効いている。新世界は通天閣を中心にして映画館、劇場、飲食店が集まる娯楽街。そんな庶民的な一杯飲み屋で鱧の皮を肴にしての昼酒が嬉しい。「とぞ」と打ち出した連語がいい。

つく法師鳴きはじめたり落城址山田春生

 この句に詠まれている落城はどの城とは断定されていないが歴史的にみて悲しい落城の謂れのある城が想像される。
 そんな石垣が残る城跡に今年も法師蝉が鳴き始めたという。この作者には法師蝉の鳴き出しから鳴き終わるまでの一節がまるでこの城の落城を語る語り部の節のように聞こえたのかもしれない。初秋の忬情。

笊を組む篠竹細工涼新た阿部月山子

 篠竹細工の仕事場を見せてもらったことがあるが、その繊細な製造工程となにより経験と熟達に裏打ちされた技術には感心させられた。
 この作者の近くの宮城県や岩手県には郷土の産物としての篠竹細工があり、その籠や笊、小物入れなどが珍重されている。なにより素材の竹に粘り強い弾力と強さがあるのが強みだという。薄く削られた竹が名工の手先で意志ある如く踊るさまはまさに涼を呼ぶ風情であったのだろう。

ふる里の砂浜痩せて秋の海萩原まさこ

 都会に住みながら他に故郷を持つ人達は幾つになってもその面影を心の片隅に持っているものである。しかし直系の人達との縁が薄くなり少しずつその距離が疎遠になって行くのも事実ではある。
 この句は久々に帰ったふる里の自然の環境の変わり方に感慨を込めて詠んだもの。あの広々とした白砂青松の浜は痩せてしまい寂しい秋の浜になっていたと嘆いている。最近の自然界は確かに少しずつ壊れてゆくように思える。

秋寒やペンのインクを黒に替ふ萩原空木

 秋寒という季語を面白い独特の視点から詠んだ一句ある。本格的な冬の寒さに比し秋寒は文字通り秋のうちに感じる寒さをいう微妙なもの、それだけにこの季語に対し取り合わせる事象には吟味が必要なことは言うまでもない。
 その点この俳句は、字を書くペンのインクを黒に替えた、と思いがけない展開をみせ独自の世界を見せた。作者は長年ものを書くことを生業にしてきた人であるからこんな習慣があるのかもしれないが、それにしても新鮮な俳句ではないか。

星月夜真珠の眠る海たひら倉林美保

 俳句には星月夜という美しい季語があり、その雰囲気を好んで作句する人も多い。星月夜は月のない夜空が星明かりで明るいことをいうのであるが、現実にはまずこんな現象はみられない。
 その点、掲句はこの季語の本意を十分に判っていて作られている。舞台は三重県は英虞湾の真珠の養殖筏を想像してみる。満天の星のまたたくもと、波のない海中で夜毎阿古屋貝の中で育ちゆく真珠、ここには月夜でなく星月夜の必然性がある。なぜならこの季語が真珠の神秘性を高めているからである。

赤とんぼ卒寿を越えし飛行兵窪田明

 この句の季語は勿論「赤とんぼ」であるが、もうひとつ別の赤とんぼの意味が隠されている。昭和九年に完成した大日本帝国海軍の九三式中間練習機はその機体が橙色に塗られていたために別名「赤とんぼ」と呼ばれていたのである。
 掲句の句意は赤とんぼの舞う原っぱに立ち卒寿(九十歳)を迎えた元飛行兵の老人がその蜻蛉を見ながら感慨に耽っている、との意であるが先に述べた別の異称を知ればこの句の世界は飛躍的に広がるのである。

一面のきらめき雨余の蛍草山﨑赤秋

 露草の傍題には月草や蛍草、青花といった美しくまた優雅な呼び方があり万葉集や古今集などの古歌にも詠まれている。
 この句は雨上がりの蛍草の美しさを詠んでいる。ご存知のようにこの花は直立して咲くのではなく、茎は地を這って独特な姿勢で花を咲かせる。それだけに雨後に一面に咲くさまは「一面のきらめき」そのものなのである。花の特徴をよく知って写生した佳句である。

掘割に溜まる入日や蚊喰鳥佐藤利明

 哺乳類で飛ぶことのできる珍しい動物が蝙蝠、蚊喰鳥である。頭は鼠のようで夏の夕方に飛んで昆虫などを食べる。「掘割に溜まる入日」の適切な状況の写生がこの句の眼目で、いかにも蚊喰鳥が出そうな雰囲気を醸し出している。

赤松の木肌秋めく盤水忌島貫和子

 高幡墓参という前書きのある句。作者は律儀に8月29日の皆川盤水師の命日には毎年墓参を欠かさないという。墓のある少し小高い丘には赤松の木があり師の墓を守る。その木肌には残暑の中に秋めく気配があった。先師が亡くなってから7年目の秋である。

流燈会袖濡らしつつ波送る島村真子

流れゆく藻を曳き摺りて送り舟柳堀里枝

 精霊が帰る盆の16日には川や海に灯籠を流したり、真苽や麦藁で作った舟に供物の茄子や胡瓜の馬やお団子などの手作りの物を載せて流す。いずれも名残を惜しむ気持ちが伴うものである。
 島村さんの句は精霊が無事に彼岸に着きますようにと袖を濡らしながら波を送っている図、柳堀さんは舟に纏いつく藻に一抹の不安を覗かせる。両句とも来年までの別れの情が寂しく漂う。

奥能登の海の色より秋めきし田村富子

 棚山波朗主宰の第一句碑が能登の羽咋に建てられたのは平成27年の10月下旬だったからもう2年とちょっと経つ。この句を読んでそんなことを一瞬思いだしたのであるがあの日の晴れ渡ったもとでの巌門の海の色が脳裏に残る。
 この句の作者はその後改めて奥能登を訪ねたのかもしれない。夏が過ぎこれまでの青とは明らかに違う藍色の海に秋の到来を確信した。これより当地は足早に秋が過ぎ長く厳しい冬の季節を迎えるのだ。奥能登の地名が効いている。

白線の残る校庭秋夕焼百瀬信之

 秋は運動会のシーズン、その運動会が終わった後の様子を詠んだ一句である。朝から絶好の天気に恵まれ競走に歓声があがった校庭には今は人影がなく、トラックに引かれた白線が所どころ剥げて残るだけだ。
 この句、秋夕焼の季語が生きていて賑わいのあとの静けさをいやが上にも募らせている。白線もすぐに夕闇に溶けてゆく。