「晴耕集・雨読集」7月号 感想  柚口満

緑立つ近江商人屋敷町 堀井より子
鮒鮨に近江の春を惜しみけり 古郡瑛子
 今年の4月中旬に「春耕」と「雲の峰」の合同吟行会が滋賀県の近江八幡を中心に開催されたが、その時の吟行句を2句とりあげた。
 湖東は私の故郷の近くであり、遥かに霞む東方の鈴鹿連山を眺め懐かしい思いに捉われたものだ。
 堀井さんの句は近江商人、別名江商が生まれた町の風情を詠んでいる。「質素倹約」を家訓とした近江商人は江戸、大阪、京都、そして海外へと進出してその名を広く知らしめた。そんな商人の屋敷にはいまも立派な松の木が残り新しい芽を次々と立てていた。作者は生きのいい松の芯に往年の近江商人の勢いを重ねたのかもしれない。
 この大会は他に八幡山、日牟禮八幡宮の松明祭、そして安土城址、水郷巡りと盛りだくさんであったが、夜の懇親会には春耕の編集長からもてなしの鮒鮨の差入れがあり皆を喜ばせた。いわずとしれた鮒鮨は近江の特産品で珍味でもある。大皿に花弁模様に盛られた 鮒の切身に舌鼓を打ちながら近江の春の夜をゆっくりと堪能したのである。古郡さんの掲句、特産品の鮒鮨をもってきたのが旨い。季語はあくまで「春」である。

風はみどりハンカチの花咲きました 生江通子
 従来の歳時記にはハンカチの花は登場していなかったが最近のそれには夏の季語として載るようになった。
ハンカチノキ科の落葉高木で高さは20メートルにもなり、垂れさがる大きな白い包葉がハンカチのように見えることからこう呼ばれる。東京新宿の新宿御苑や小石川植物園の木が有名であるが、最近では街路樹でもみかけるようになった。
 取り上げたこの句、口語で報告調に詠んでいるがこれが返って新鮮で初夏の緑の中に咲くハンカチの花がよくクローズアップされている。

伽羅蕗を煮る香満ちたる厨かな 井水貞子
 蕗が野菜店に並び始めると夏の到来を実感する。我が家ではここ数年蕗を大量に買い込み伽羅蕗を煮ることが慣わしになっている。蕗を醤油、砂糖、みりんなどでじっくり煮込むのがコツであり、それに青山椒をも加えるのが自己流である。
 この作者も夏になると伽羅蕗を煮るのが習慣になっているのであろう。厨に満ちるその香は来るべき盛夏を乗りきる食欲への手助けでもある。

雨の中白のあやしき山法師 岩田諒
 この句、一読して中七の「白のあやしき」に興味をそそられる。山法師の花と呼ばれる白い4枚の部分は実は苞であるのだが、句では花として詠まれる。
 掲句はどこかの山奥の光景として想像してみる。うっそうとした山道に雨が降りだし、ぼんやりとした白い塊が霞んで雲のようにも見えたが、やがてそれが花だとわかった。近づけばあやしき花は山法師、雨を透した無数の白い花はやはりあやしさを含んでいた。

ふらここや移り気の子に捨てられて 実川恵子
 ふらここ、ぶらんこの身になって作られた一句である。ぶらんこは子供の遊具として人気があり、幼稚園や小学校の庭のどこかに設置されている。
 しかし子供の心は移り気である。さっきまで列を作って順番を待っていてもあっさりと見切りをつけて滑り台へと移動してしまう。子供らが去った後のぶらんこは春の風に少しだけ揺れていた。

咲き満ちてあと潔しチューリップ 杉原功一郎
似たやうで違ふ毎日チューリップ 濱中和敏
 チューリップを題材にした2句を取り上げた。この花はユリ科の球根植物であるが他に咲く春の花に比べると面白い姿をしているのに気づく。1本の茎の上にやや肉厚の6弁の釣鐘形の花を開く。
 杉原さんの句、満開となったチューリップはあまり日を置かずにある日突然崩れ落ちるように散り姿を消す。作者はそのさまを「潔し」と的確に表現した。
 また濱中さんは蕾から開花、そして落花までを毎日観察してチューリップの日々の在り様を一句にまとめられ、その微妙な変化を楽しんでおられる。

牡丹散り風が素通りしてゆきぬ 鈴木 幾子
 華やかな牡丹の花が散ったあとの喪失感を詠んだ一句である。花の王の名を欲しいままに絢爛豪華に咲き競う牡丹、白牡丹は気品の高さを、真紅は妖艶さを謳歌する。
 そんな牡丹園の花々が一斉に散りだし、そのあとを素通りしてゆく風を作者は敏感に感じ取っている。昨日まで花と親しく和していた風の空虚感。

花冷えの改札とほる予備校生 若田部松芯
 花冷という季語は美しいものであり俳人が好むものでもある。しかし、掲句にある花冷えは少し世の中の厳しさをも暗示していて切ないものがある。
 予備校生としてこれからの1年を決意も新たに勉学に励む少年には少し厳しい花冷えの改札口である。