「晴耕集・雨読集」7月号 感想 柚口満
あんこ餅買うて上野の花を見に山田春生
東京の桜の名所といえば桜の木や見物客の数からいっても上野ということになろうか。私の人生の最後の職場が上野ということもありこの句を詠んで往時のことが浮かんできた。
作者は桜見物の前にあんこ餅を買ったという。上野には和菓子の名物店が多いが、駅に近い「岡埜栄泉総本店」や「みはし」、そして広小路の「うさぎや」辺りで求められたのだろうか。花見と酒は切っても切れない関係があるが、あんこ餅を頬張りながらのそれも一興というものだ。
ぶらんこの揺れこれでよし老いにけり蟇目良雨
肩の張らない詠みぶりの俳句であるがなかなか含蓄に富んだ一句である。
人生も後半を迎え久方にぶらんこに乗った時に実感したのが掲句。子供の頃は、それこそ天に届けと思いきり漕いだのだが、今はほどほどの緩やかな揺れにならざるをえなかった。しかしここには落胆感はない。
これでよしと納得する人生がある。そして「老い」というものも静かに受容している。同時出句の「余花のころ逢ひし人ゆえ忘れめや」も併せて読みたい。
病室の計器のきざむ春の闇高野清風
この句を出されたとき作者は入院中だったのか、病院の句を三句出された。私も経験があるが病院の狭い環境のなかで句を作るというのはなかなか難しい。
掲句は春の夜中の入院のベッドの様子であろう。音のない病室の中で聞こえるのは自分の体に繋がれた計器の単調な音のみ、寝付かれないで様々なことが脳裏を駆け巡ったのかもしれない。
あとの二句「病院に配膳の音暮遅し」「春の蟬一夜明けたる外科病棟」も、集中できない雰囲気にありながら冷静に詠まれた佳句だと思う。
潮騒に混じりて澄めり海女の笛沖山志朴
春の季語、海女の傍題に海女の笛、磯嘆きがある。海女には磯海女と沖海女があり前者は陸に近い比較的浅い海を、後者は船で沖に出て長い命綱をつけて深く潜るのである。
沖海女は大変な重労働だ。もちろん酸素ボンベなどは付けず只々息の長さだけが勝負なのだ。そして海面に浮かび上がった時に吐きだす音が海女の笛である。
春浅い潮騒に混じるヒューヒューと澄む口笛は実に哀調を帯びるものであり忬情のでた一句。
お岩木の風に首ゆれ種案山子小野寺清人
種案山子は春の季語である。傍題として苗代の項目に入っている歳時記もある。苗代に蒔いたばかりの種を、ことに水が減った土の種を雀や小鳥が啄むことがあり、これを防止するために立てられるのが種案山子と言うわけだ。
掲句は岩木山(当地では親しくお岩木と呼ぶ)からの風に吹かれる種案山子を詠んだもの。象徴の岩木山を上手く取り入れ人事、生活の季語を軽く面白く一句に仕立てあげている。作者は岩木山が好きなのか、時々この山の句に出会うことがある。
流れ藻を浜に押しやる春北風石田瑞子
春先の天候は不順である。本格的に安定した春の気候になるまでは移動性の高気圧と低気圧が交互に日本列島を進む。そんな中で一時的な西高東低の冬型の気圧配置に戻った時に吹くのが春北風(はるきた、はるならい)である。流れ藻が春北風で浜に打ち上げられた景、春の到来はまだまだ先のことである。
庇影日毎濃くなり夏来る小池浩江
主婦の方々は日常生活のちょっとした変化を取り込んで一句をものにされる。こうした感性は男にはないものかもしれない。
掲句は例えば自分の庭に落とす庇の影をみての実感であろうか。その影の濃さは春のそれとは違いまさに立夏のくっきりとした影絵であった。
葉桜や定時に通る郵便車佐藤さき子
満開となってからの桜の花はあっというまに散ってしまいすぐに葉桜の季節になってしまう。この短期間の変わりよう、時の流れが人々の心を打つ。作者の日常で気に留るのがいつもほぼ定時に回ってくる郵便配達車、時には事務的な便りばかりでなく朗報も運んできてくれる。どんどん濃くなる葉桜の季節感。
生き物に指挟まるる磯遊島貫和子
春も中旬から下旬になると気温も上がりだし、また潮の干満の差を利用して干上がった浜や岩場に繰りだし磯遊びが盛んになる。
浜辺で草餅に舌鼓を打ったり岩場の穴に手を突っ込んで小魚や蟹などを生け捕りにする。この句、漠然と生き物としたことで得体のしれないスリル感が醸し出され磯遊びの面白さが倍増した。
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