「晴耕集・雨読集」  11月号 感想      柚口満   

瀬の音に和してころがる河鹿笛朝妻力

 俳句を愛する人は河鹿の、特にその鳴き声の河鹿笛の句をよく作られる。しかし河鹿の姿を、そしてその声を聞かれた方は比較的少ないかもしれない。
 河鹿は別名河鹿蛙とよばれるように蛙の一種で渓流や湖などの水のきれいな所に棲む。ヒョロヒョロヒョロ ヒヒヒヒ…と夏の繁殖期に雌を呼ぶ雄の声は静かで清涼感にあふれるもので、一度聞くととりこになるといわれる。小さな瀬音に合わせて「ころがる」と詠んだのが的確な表現で、その声のもの悲しさがよく出た一句である。

父の忌の近きと思ふ初さんま児玉真知子

 ここに先月(12月)7日付けの新聞があり、昨年のサンマの水揚げ量がまれにみる不漁だったと伝えている。なんでも統計が残る中で最低とされる昭和44年の5万2千トンを下回る3万8千トンだったというのだから深刻である。 
 余談から入ってしまったが、この作者の父上もサンマが大好物だったのか、初さんまが出回る頃になると「そろそろお父さんの命日ね」と決まって話題に上り忌を修する準備が始まる。

遠き子に思ひを馳せて苧殻焚く中島八起

 春耕11月号にはお盆の俳句が数多く散見されたがこの句もその中の一句である。
 詠み出しで遠き子、とあるから遠隔地に離れて住むお子さんのことかと思ったが下五で苧殻焚くとあり、早逝されたわが子への鎮魂の句とわかった。長寿を全うされた方と違い、幼くして黄泉の国へと送らざるを得なかった親御さんにとっては何十年たってもその子の年齢を追いかけるもの、静かな悲しみが沈静した一句である。

蜩の坩堝となりて南谷佐藤栄美

 春耕の連衆が出羽三山を訪うときに必ず寄るところが南谷。皆川盤水先師の「月山に速力のある雲の峰」の句碑があるからである。
 その晩夏、あるいは初秋に鳴く蜩を詠んだのが掲句である。蜩の坩堝になりて、と大胆に詠んでいるのが印象的だ。複数の蜩が自分の声を出し切るように鳴き競うさまは壮絶に値する。ともすれば蜩の鳴き声は哀愁を帯びたものと思いがちだがこんな競演もある。

解体の梁咬む重機秋暑し杉原功一郎 

   筆者は健康のために朝夕ウオーキングをするように心がけているが、その時の町の景色で感ずるのは廃屋が日に日に増えていることである。ついこの間も独り暮らしのお祖母ちゃんが子供の家に引き取られてこの家も目下空き家になっている。
 この句もそんな一軒家の解体作業を詠んでいる。バリバリと重機が音をたてて容赦なく梁を壊してゆく。いろんな夢がこもった家が壊されるのは愉快なものではない。残る暑さが厳しい。

四万十川の松明唸る夜振かな小関忠彦

 幼い頃、夜の川にでかけ夜振りの火を焚いて魚をとったことがある。あの頃はカーバイトを使っての漁であった。
 こちらの漁はあの日本一の清流ともいわれる四国の四万十川の松明を使っての夜振り。多分に観光的なものかもしれない。風に煽られた火が唸るなかそこだけが幻想的に明るい夜振り漁が印象的。

へちま水採つて観察日記終ふ田中里香

   観察日記という幼い頃の行為を聞いて何か懐かしい思いにとらわれるのは何故だろう。子供のころの理科の宿題で朝顔の生育記録をつけていたのを思い出す。
 この作者もへちまの種を蒔くことから観察をはじめ、棚を作り花を咲かせ実を生らせ最後にその水を採って観察日起を終了したと回顧する。長い期間を費やした貴重な日記。努力したあの日々が愛おしく思われる。

声しぼり挽歌かなでる秋の蟬田中よしとも 

   秋の蟬を詠んだ一句。盛夏の蟬と違いこのころの蟬は一斉に鳴くことはなく個々が弱弱しく声を絞りだす風情で淋しいものだ。
 そんな声に作者は上五、中七で「声しぼり挽歌かなでる」と詠み哀惜の情を表した。高木晴子に「秋蟬や淋しき時は目つむりて」という一句がある。

咲きつづく朝顔数へ朝餉とす花里洋子

 ささやかな庶民の生活の楽しみを表した一句でありこの楽しさは十分に分かる。毎年、入谷の朝顔市の朝顔を筆者に送ってくれる人がいて水を遣りながら花の数を楽しんでいるからだ。
 この作者はその数を確かめ、色を愛でそれから朝ご飯を食べるという。清々しい一日の始まりである。