「晴耕集・雨読集」7月号 感想          柚口  

桜鯛積んで列なす帰港かな阿部月山子 
 先年、気仙沼の港で鰹を満載した漁船が次々と港へ列なして帰港をする風景を見る機会があった。接岸した船からは大漁の鰹が陸に揚げられ、流れ作業で選別されてゆく光景は圧巻であった。作業が済むと沖待ちの船が入れ替わりする大漁でもあった。
 掲句は豊漁の桜鯛を積んだ船の帰港風景である。桜が咲く頃の内海に群来する真鯛を桜鯛と呼び、また雄の腹が生殖期に赤くなることからこの名が付いたという。
 前述の鰹とちがい色の華やかさが目立つ桜鯛、その陸揚げ風景はお目出度い雰囲気も加えての大漁の賑わいであったことが想像された。

雨を飛ぶ朱鷺の三羽や四月尽池野よしえ

 環境省の発表によると新潟県佐渡市の野生下における朱鷺の生息数は451羽、今春巣立ったヒナの数は44羽で去年より23羽減ったという。毎年どんどん増えていると思う人もいるらしいが、様々な要因があるらしく関係者の苦労が偲ばれる。
 さてこの句、3羽というのは春に巣立った朱鷺と親鳥であろうか。雨の中を元気に飛び交う姿を見て去り行く4月の感慨を一句にしたためた。

八重桜風に遅れて波打てり沢ふみ江

 八重桜は八重咲きの桜の総称とされ、桜のなかでは花期が一番遅いとされる。重量感のあるぼってりとした花が枝が見えなくなるまでに咲く様が特徴である。
 掲句はそんな八重桜の特質を前提に作られたものであろう。普通の例えば染井吉野などであれば風の道通り素直に揺れるのであるが、この種の花は風に送れて波を打ったと写生した。いかにも八重桜らしい風格が感じられる。この作者には風を媒介とした俳句が結構あるが風に敏感なのであろう。この句を読んで通り抜けで有名な大阪造幣局の八重桜を思い出している。

新入生今朝より仰ぐ大時計小林博

 新入生にはその対象は小学生から大学生まであるわけであるがこの句は小学生であろう。親もそうだが新しい学園生活の門出とあれば当の子供の期待と不安は相当のものがあると推察できる。
 校門を入ると校舎の正面にどんと取り付けられた大時計、この少年はまず遅刻をしないようにと今朝からこの時計を仰ぐことになる。大きな時計を配して新入生の心境を上手く表した佳句である。

辺戸岬薊囲ひに欣一碑広瀬元

 掲句にある欣一碑とは「風」主宰であった沢木欣一が詠んだ「夕月夜乙女の歯の波寄する」の句碑のことである。乙女はみやらびと読む。
 沖縄本島の最北端にある辺戸岬、この句の作者、広瀬さんは那覇市にお住まいだから、おりにつけこの岬を吟行されるのであろう。晩春から夏にかけて咲く薊にみやらびの白い歯を重ね合わせてこの一句を作られた。ちなみに欣一は前掲の句を自註(俳人協会編)でこう語っている。海の白波は乙女の歯にたぐえられ、美人の形容になっている。健康な美的感覚。沖縄の月は明るい。月下の波の穂の鮮やかな白さ、と。

共にゐる今を大事に蓬餅宇井千恵子

 蓬餅という季語がしっとりと息づく滋味のある佳句である。もちろんこの蓬餅は町なかのお店で買ってきたものでなくお家で作られたものである。ご主人も蓬を摘んだり餅つきに付き合われたのだろう。
 上五の「共にゐる」は勿論ご夫婦のこと、お子様たちが外に巣立たれて2人きりとなった充実した生活を大事に、そして楽しんでおられる雰囲気が素晴らしい。蓬餅の出る頃、短冊にしたためて飾って欲しい一句。

春宵の何か忘れてゐるやうな 小林啓子

 中国北宋の詩人、蘇東波の「春宵一刻値千金」という詩からも実感できる春の宵、うららかな春の一日が暮れんとする、夜には早いその一刻はくつろいだ甘美な気分が漂う頃といえよう。そんなひとときに作者は何かを忘れているような気分だと感じた。そう感じるほどその春の宵は心に沁みたものだった。

吊橋に来て遠足の列縮む冨田君代

 長い遠足の列が新緑の山道を通り抜け深い谷に架かる吊橋に差し掛かる。いままでゆったりとした間隔で進行してきた遠足の列が、みるみる縮まり吊橋の前で滞ってしまった。この句の眼目は下五の「列縮む」である。列が縮むと捉えた写生に子供たちの吊橋への警戒心、恐怖心が的確に描写された。

かんばせに和紙ふんはりと雛納め古郡瑛子

 子供たちにとっても、あるいは人生を多く積んできた女性にとっても雛祭が終わったあとの雛納めにはそれぞれに深い感慨が湧くものらしい。
 掲句も、特にやわらかな和紙でお顔をふんわりと包んだところに心残りが感じられる。鍵和田秞子さんの句に「夕雲のふちのきんいろ雛納め」がある。