「晴耕集・雨読集」8月号 感想          柚口満 

烏賊釣火地球が丸く見ゆるかな阿部月山子

 先年、象潟を吟行した時に坩満寺のあとに象潟港まで足を伸ばしたことがあった。昼間とあって多数の烏賊釣漁船が集魚灯を無灯のまま所在無さげに停泊していたのが思い出として残る。
 烏賊は昼間は海中深く沈んでいて夜に水面近くに浮上してくる習性があり、烏賊釣りはそれを利用して夜間に光を照らして漁をすることになる。掲句はその烏賊釣火が水平線に連なる様子を、地球が丸く見えるようだと詠み、その光の多さ、美しさ、涼しさを表した。各地で見える烏賊釣火は夏の風物詩のひとつである。

ランドセル肩にくひこむ街薄暑堀井より子

 ランドセルは学童用の背負い鞄。春の小学校入学時にこの鞄を揺らして通学する子らの姿を見ると、なんとなく嬉しい気分になってくるものだ。
 作者はそんな町なかを通学する子供たちの様子を日頃から好ましく見守っている一人だ。桜の季節が過ぎ、薄暑を覚える頃のランドセルが肩に食い込むようになってきたことに気が付いた。入学時は2、3冊の教科書と筆箱だけがカタカタと鳴っていたランドセル。この頃になるといろいろな持ち物が増え重さが増して子供の肩に食い込むようになった。ランドセルを介して入学児の成長を実感された一句。

よちよちの子がすたすたと柿若葉平賀寛子

 生まれた子が成長するのは目を見張るような早さがある。そんな感慨を込めながら作られたのがこの句であろう。
 去年の初夏のころは、まだよちよち歩きの子が一年ぶりに再会してみると、すたすたとその辺を自由自在に歩き回っているではないか。「よちよち」と「すたすた」の語彙の使い方が的を射ていて、その成長度を瞬時に伝えている。柿若葉の季語が的確で、平仮名の多い上五、中七をしっかりと受け止めている。

腹を打つ音ひびきよし五月場所武井まゆみ

 五月場所、夏場所を詠んだ一句。最初一読したときに出出しからの表現で触れ太鼓などの音がお腹に響いたのか、と早合点したが再読してそうでないことに気が付いた。この音は力士が腹に巻いた締め込みをポンポンと叩く音だったのだ。
 テレビの相撲中継を見ていると仕切の最中に塩を撒いた後にお互いがまわしを叩き合う。その間合い、音の違い、独特のリズム感などそれぞれに個性があって通の楽しみとするところでもある。さわやかな初夏の大相撲のわくわく感が醸しだされた一句である。

渓流を引きてさうめん流しかな上野直江

 冷素麵、素麵流しは夏の季語。素麵を茹でて冷水や氷で冷やしたものは暑さで食欲がないときにはもってこいの食べ物である。
 特に素麵流しは近頃さまざまな趣向をこらした設備などが登場して話題を呼んでいるようだ。しかし、奇をてらったものよりはこの句のように天然の冷たい渓流を引き込んだものは野趣味満点で、おもわず食指が動くというものだ。

水喧嘩も昭和も遠くなりにけり久保木恒雄

 昭和も遠くなりにけり、と述懐されると反応してしまう自分がある。半世紀近く昭和という時代に身を置いてきた産物であろうか。
 田にとって水が必要な時、日照りが続き水のやりとりを巡る諍いが水喧嘩。最悪となると村同士の戦いに広がることもあったという。
 最近は灌漑設備の充実でその悩みはない。植田の見回りも朝の散歩に変わってきている。水争いと昭和をもってきた妙味が効いている句である。

薄墨の空に紛るる花あふち髙橋喜子

 センダン科の楝の花は6月ごろに淡紫色の円錐花序を付け大木のそれは遠目に紫の雲が漂うように見え、美しさに見とれることがある。それも晴天の日ではなく掲句にあるように曇り空がよく似合う。薄墨の空に、捉えた感性が光る一句である。

小満や水車たつぷり水掬ひ中浜由志美

 二十四節気のひとつである小満、陽暦の5月21日頃である。盛んな陽気のなかで草木が茂り自然世界の万物が良く育ち、かつ満ちる頃を指す。
 この句が良いのは中七から下五にかけて回る水車の在り様をしっかり写生したこと。具体的描写が生きた。

青梅やまだ制服に畳皺山田高司

 青梅という季語を配した新鮮な一句。入学から3ヶ月、その頃は葉だけであった梅の木は青い実をつけるようになった。女学生の制服の畳皺はまだ消えないが薄れつつある。青梅と女学生の取り合わせがいかにも瑞々しく思われる一句である。