「晴耕集・雨読集」6月号 感想 柚口満
片空の雲なき空を鳥帰る児玉真知子
半世紀近く俳句を作っていても掲句にある「鳥帰る」という季語には惹きつけられるものがある。半年を日本で過ごした鳥たちがまた長い道程を掛けて帰る姿に感傷を覚えるからだろう。
そんな感情を大げさに吐露することなく淡々と詠める作者の力量は上五、中七の「片空の雲なき空を」の表現に表れる。片空とはこの句の場合北の空、その空は一朶の雲もかけずに帰る鳥たちに帰路をお膳立てしていた。この措辞だけで十分に意を尽くしている。俳句は言いすぎてはいけない、という見本でもある。
蟻穴を出て隊列をととのへり池野よしえ
先達とおぼしき蟻の出でにけり窪田明
冬のあいだは外へ出ることを控えていた昆虫や爬虫類、両生類などは春を待って地上に出てくる。蛇や蛙、そしてこの句に詠まれた蟻などである。冬籠りをしていた小動物がどんな姿で、動きで出てくるか、凝視する写生眼が求められることは必然である。
池野さんは隊列を整える蟻の動きに注目、窪田さんは蟻の親分らしき先達が先ず穴を出て辺りを見回す仕草に興味を示す。話はとぶが間もなく出版される棚山波朗遺句集『能登小春』には先師が唱えた写生の凝視ともいえる粘りの句群が多く見られる。そこには類想、類句をこえるヒントが隠されている。
農託す子は現れず葱坊主大塚禎子
農事にかかわる俳句を自分の体験を通して発表される作者、今月も「菜種梅雨納屋の電球切れかかり」「一と山を一気呵成に接木して」などの佳句を投句されているが今回は掲句を取り上げさせてもらった。
この句は農作業の一端を詠むというより周辺の農業に携わる人たちの日頃の懸念を取り上げた。全国的に若者たちが農業という生業から遠ざかるという話はよく聞く。列をなしすくすくと育つ葱坊主をみるにつけ、そんな感情が湧いてきたのだろうか。
瀞を出て追ひつ追はれつ花筏杉原功一郎
川面を流れる桜の花弁を「花筏」と呼ぶことを知って居る人は、ほとんどが俳人といってもいいだろう。私もこの言葉を知ったときには感激、感心したものだ。
池や沼に浮くのも花筏であるが、やはり流れる様子にその美があるのではないか。その点、この句は瀞を出た花筏の組み替える場面を中七にダイナミックに表現して成功している。咲いた花の最終章を寂寥感を持ちながら眺めている。
打つ鍬を吸ひ込むちから春の土大林明彥
春耕の様子を詠んだ句であるが、耕しというより春の土に焦点を当てた一句である。
冬のあいだ、寒さや雪などの自然条件で眠っていた田や畑の土は春を迎えて目覚めの季節を迎えた。掲句は実際に耕しを経験した作者が自分の手に伝わるその感性を巧みに表現して面白い句になっている。本来ならば鍬を打ち込んだ土の感触を詠むところ、この土には鍬を吸い込む力があったという。上五から中七までの表現に春の大地の不思議な力を実感した。
芦の芽や客集まれば出る渡舟小田絵津子
仲春の頃、水辺に葦の芽がツンツンと出るのは,芦の角とか葦牙(あしかび)とも呼ばれ俳諧味のある季語として俳人が好んで使う。
水が温み、渡しの堤には春の風情を求めて日に日に客も増え始め芦の芽も水面に顔を出す。満ちた定数に船頭さん「舟がでるぞ!」。長閑な春の到来だ。
耕して「昼のいこひ」に癒さるる小林啓子
NHKラジオの国民的長寿番組「ひるのいこい」は昭和27年から続く番組で聴取する人も多い。特にあの古関裕而作曲のテーマ音楽を愛する人は多い。春の田の耕しのひととき、畦でとる昼食時に聞く番組は俳句の披露や各地の便りが嬉しく楽しいひと時となる。番組の正式名は「ひるのいこい」なのでご留意を。
吹く風の見ゆる青田となりにけり佐藤さき子
最近の異常気象による水害で見渡す限りの青田が水中に没する場面を見て強いショックを受けた。「今年の稲作は全滅だ」と語る農家の人の言葉に声もない。
さてこの句は順調に育った青田を詠む。すくすく丈を伸ばした青田に吹く風のそよぎが見事である。このまま無事に育てという作者の心情も窺える。
ふらここの背押す父の大きな手林あきの
ぶらんこはわが国では時代とともに名前が変わってきた。ゆさわり、ふらここ、ぶらんこ、という風に。
この句に詠まれた父の手は作者のお父さんの手とみるのが妥当であるしそう思いたい。遥か遠い日の一こま、そっと背中を押してくれた大きな掌の感触は生涯の宝物。羨ましい思い出だ。
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