「晴耕集・雨読集」4月号 感想                柚口満   

夢に見し妻のこと記す初日記池内けい吾

 新年には「初」に始まる季語が沢山ある。数えたことがないが相当なものになるはずだ。初日記もその一つで文字通り新年になり始めて日記をつけることである。
 作者は先に亡くなった奥様の夢をみて早速そのことを初日記に記したという。どんな夢だったかは計り知れないが思い出に残った印象的なものだったことは間違いない。折に触れ奥様のことを句にされ続ける作者、今年の日記にも折りにつけて登場されるに違いない。

大根漬夫の遺せし石重し古市文子

 こちらの文子さんの句は夫君を偲んで作られた一句。先のけい吾さんと同じく折々にふれて今は亡き古市枯声さんの思い出を春耕誌に投句されている。小生の若い頃の大先輩であった方で読むたびに懐かしさがこみあげてくる。
 収穫された大根を2人で漬けた思い出、この重い漬物石を抱えるごとに鮮やかに蘇る実感がリアルである。同時に出句された「日脚伸ぶ畳に夫のたばこ跡」も秀句である。妻恋、夫恋の句は情に流されず、的確な在りしものを淡々と提示することが肝要である。

寒見舞なる絵葉書がハワイより飯田眞理子

 寒見舞とは寒中に知人や親戚の安否を見舞うものでそれは手紙やハガキ、あるいは物品になることもある。喪中の方が年賀状を遠慮して寒に入ってから葉書を出すことも多い。
 この句はその寒見舞の絵葉書がハワイから届いた、という意外性のあるところが眼目。素直にとれば、常夏の国への羨望がまず思い浮かぶであろうが、ひねくれものの私などは何もこの寒中に、とおもってしまう。やはりここは素直に喜びましょう。

おなら誉むるナースのゑくぼ春まぢか酒井多加子

 春の到来を間近に控えた病室でのひと齣を楽しく詠んだ一句である。内臓系の手術でもされたのであろうか。翌日、巡回に来た若いナースから「もう、おならは出ましたか」と問われた。
 医学的にはこの質問は極めて重要でかつ基本的なものらしい。一般的にはその手術が成功したサインといわれ腸閉塞が解除された証だという。
 笑窪の魅力的なナースに「よかったですね」と褒められ、この患者さんには一足早く春が来たようだ。

寒柝の音の遠のく夢の入り深川知子

 寒柝という言葉を聞いて遥か昔の懐かしい記憶が蘇ってきた。田舎育ちだった私は小学校のころからお兄さん達について冬の夜の火の用心を促す寒柝を経験していたのだ。拍子木を打ち鳴らし村の中をひと周りするのは子供心に厳しいものがあった。
 さて掲句も回想句なのだろう。幼かった作者が布団に入る頃にやってくる寒柝、その声が遠ざかるともう夢の世界が待っていた。故郷回帰の郷愁あふれる作品である。

海を出て海に沈む陽島のどか岩山有馬

 長閑(のどか)を季語とした俳句。のどかという語彙からはやはり晴れた日の印象が強いものがあるが、この句は日の出から日の入りまでが見られるという好条件である場所が舞台であることが素晴らしい。
 作者は鹿児島県の奄美群島の与論島在住ときけば、その光景に納得する。沖縄に最も近い与論島、一周するには20キロというからうらやましくも長閑な自然がうらやましい。

分校の一時間目は雪合戦小山田淑子

 分校とは学校において本校と分離して設けられる育施設の事をいう。
 この句は在りし日の分校を詠んだものか、あるいは現在なのかは定かではないが、冬のあいだの朝の一時間目には必ず雪合戦が取り入れられた。体操の意味合いがあるのだろうか、少ない生徒たちが賑やかに雪の礫を投げ合う光景が目に浮かぶ。身体の方も温まり次の時間の勉強もすすむ。

離れ住む子らの部屋にも豆を撒く黒田幸子

 二十歳を過ぎた我が子が学校を卒業してそして就職、所帯をもって半世紀、それ以来、我が家の子供の部屋は昔のままである。
 あれから何回この部屋に節分の豆を撒いてきただろう。「福はうち」だけでなくわが子、嫁や孫の分までの豆を。慈愛に満ちた親の祈りが込められた一句。

目覚むるは生きてゐること初明り原田みる

 初日や初日の出でなく初明りという的確な季語を選択して風格のある句になっている。元旦に目覚めたときに感じた初の明りに作者は今年も生きていることを実感した。人間誰しも四六時中、生死の事を考えるわけではないが新年を迎えた所感として上々の一句。正月には自作のこの短冊を架けてほしい。