「雨読集」7月号 感想                        児玉真知子

荒鋤きの泥に胸擦る初燕飯田千代子

 田植えの準備として、近年は土の荒鋤きを耕運機で掘り起こし柔らかくする。この作業で、土の通気性がよくなり、養分が活性化され、微生物の活動も活発になることで稲の成長を促す。
 掲句は、この時期に渡来する燕に、初めて遭遇し空を自在に飛び交う姿に春の訪れを感じている。初燕が広い空を嬉々として飛び、田圃の泥を咥えて身を翻す様が鮮明に浮き上がってくる。細見綾子先生の「つばめつばめ泥が好きなるつばめかな」を思わず口遊んでしまうような情景の一齣である。

島ひばり鳴き鳴きあがり急降下岩山有馬

 雲雀は、春の代表的な鳥で、雀よりやや大きく畑や草原に棲み、麦畑などに巣を作る。畑の草の根本を少し掘って巣を作るので、枝で鳴くことはない。常に広々とした天をめざして鳴きながら真っ直ぐに上がってゆくのが揚雲雀。昇りつめると鳴き止め一直線に落下するのが落雲雀などと傍題にある。
 作者は、与論島在住の方で「島ひばり」そのものを具体的に詠み「鳴き鳴き」のリフレインの表現法で弾んだ調子がリズムよく印象的である。

菜の花や肩を寄せ合ふ道祖神尾崎雅子

 道祖神は、関東甲信越地方で多くみられる。古くは塞の神と呼ばれ江戸時代になって道祖神と呼ばれるようになった。主に石造りで石像が彫られている。集落の境、辻、峠などの路傍にあり、疫病や悪霊を防ぐ神、旅の安全を守る神として信仰されてきた。
 掲句のように二神が手を取り合い肩を寄せ合う道祖神は、縁結び、子孫繫栄、豊作祈願等の神として親しまれてきた。季語が的確で菜の花の鮮やかな黄色の明るさと、中七の道祖神のように穏やかな円満な気持ちにさせてくれる句である。細見先生の「菜の花がしあわせさうに黄色して」を彷彿とさせる。

鶯の喉念入りの音合はせ河合信之

 古くから鶯は、駒鳥、大瑠璃とともに日本三鳴鳥と呼ばれる。鶯は立春を過ぎた頃から囀り、その年の初めての鳴き声を「初音」といい、春の先がけとして「春告鳥」、他に晩夏まで囀り続けるのを「老鶯」などと多くの異名があり、俳人たちにも親しまれている。
 初音から囀りが整ってくる鶯を擬人化し、新しい感覚の表現に新鮮さを感じる。

古草を縫うて一縷の水の音中谷恵美子

 萌え出たばかりの若草にまじって越年して枯れずに残っている草を「古草」と言い、冬の寒さを乗り越えきた力強さを感じさせる季語である。春になって、少し水量も増えか細い水の音に焦点を絞り、生命力を感じさせる詩情溢れる作品にまとめている。

青麦の風に乗り来る栃木弁野口栄子

 作者が在住する栃木は、全国でも有数の麦の産地で、特にビールの原料となる二条大麦がほとんどである。家の近くの麦畑の光景でしょうか。晩秋から初冬に蒔いた麦は、冬の間に芽を出し寒さに耐えながら成長し、春になると若葉を急に伸ばして、たちまち畑一面を緑に染めてしまう。瑞々しく戦ぐ丈の緑に心が和む。遮るもののない麦畑は、心地よい風と共に郷愁を誘う。聞き慣れた方言で現実に呼び戻されたのでしょう。日常生活の中で得られた貴重な句である。

飛花落花老女ゆつたり煙草吸ふ花里洋子

 桜の花が盛りを過ぎて、とめどなく散る様は、散りぎわの見事さとともにはかなさを感じさせる。掲句は一人の老女が「飛花落花」を称えつつゆったりと来し方を回想している姿に、人生の華麗さと終焉を思わせる。平明な句の中に人生の重厚さを感じさせ感慨深い句である。

亡き夫の画帖に通す初夏の風松村由紀子

 ご主人は、絵画がご趣味だったのでしょう。描きためた画帖の一枚一枚に思い出があり、めくるたびに込み上げてくる思いが想像される。初夏の風が効果的で、明るく清々しい風に心身が癒されていくような気持ちが伝わってくる。

花の雲蛇行してゆくモノレール山田えつ子

 多摩センターを起点として多摩地域を縦断する多摩モノレールは、作者の在住する立川を通り延長16キロ。開通は2,000年と比較的新しい。このモノレールは高い位置を走っているので、眺めがよく遠くが見渡せる。大きなカーブが随所にありカーブに沿って桜が咲き連ねている様子を素直に詠みとった句。童話のような雰囲気が体験できそう。