「雨読集」8月号 感想                        児玉真知子

打水をたどり銀座の稲荷かな笠松秀樹 

   打水は、夏の暑さを鎮めるため昼や夕に店先や路地などに水を打つことで少しの涼に安らぎを覚える。掲句は、銀座の路地に入ってすぐに、打水の涼を感じて辿って行くと、稲荷神社に遭遇した驚きを明快に表現している。私は店を探して路地に迷い込んでしまい、境内もない小さな稲荷神社に驚いたことがある。
 銀座1丁目から8丁目の商店街の商売繁盛や開運の神として信仰を集めている。お稲荷さんも、再開発や大型ビルの建設に伴い、ビルの屋上やビルの一角に鎮座していたりする。大都会の喧噪にまみれながらも人々の生活に溶け込んでいる。狭い路地にひっそりとある稲荷神社を巡ってみるのも愉しい。

鯉のぼり吐息もらして畳まるる冨田君代 

   端午の節句に鯉幟を立てるようになったのは江戸時代からと聞いている。いつのころからか男の子の祝の日になり、子どもの成長、出世、健康を願って立てる鯉幟。もともと中国の黄河流域の滝を鯉が登ると龍になるという登竜門の伝説にもとづいている。大方は、春の彼岸過ぎ頃から、5月中頃まで飾っているのを目にする。鯉幟を丁寧に畳んで仕舞う時の様子を「吐息もらして」と擬人法で豊かに表現。「お疲れ様でした」と鯉幟を労う作者の声が聞こえてくる。

万緑や嬰ぐびぐびと乳を吸ふ高橋栄

 万緑は、強い語感の響きのある季語で、夏の野山に溢れる満目の緑のことを言う。中村草田男が、この季語を始めて俳句に使い「万緑の中や吾子の歯生えそむる」の句で季語の素晴らしさが印象づけられた。
 掲句は、生まれて間もない赤ん坊が、全力でお母さんの乳を吸っている姿が浮かんでくる。「ぐびぐび」と乳を吸う音の表現が素晴らしく、元気一杯な赤ん坊を彷彿とさせ、喜びに満ちている句である。

新茶送る無沙汰の友へ文添へて野尻瑞枝

 八十八夜の頃に新芽を摘み、それを製したのが新茶、走り茶。新鮮な風味と香り、まろやかさが好まれる。この辺りは、狭山茶の産地に近く、新茶と言えば狭山茶が思い当たる。この頃は、若葉が美しく、気持ちも明るく清々しい季節である。日頃、疎遠になっている友へ特産の新茶に近況を伝える手紙を添えて送る心情が素直に丁寧に詠まれている。ささやかに生きる喜びを感じる時でもある。

磯の香の風も過客や夏座敷伯井茂

 住む地域に応じて、昔から夏を涼しく快適に過ごすため襖や障子を取り外して風通しを工夫してきた部屋が夏座敷である。波音が聞こえてくるこの夏座敷は、解放感があり、風通しが程良い。波音に混じり吹く風は、磯の香りを連れて心地良い。「過客」の措辞が句の深みを増し共感を覚えた。風趣のある夏座敷でくつろいでいる様子が窺える。

湖の裸婦像まぶし聖五月村山千恵

 湖の裸婦像は、十和田湖畔にある高村光太郎作の「湖畔の乙女像」であろうか。昭和27年十和田湖が国立公園となった15周年を記念して建てられた一対の乙女像である。
 北国のこの季節は、いっせいに木々の若葉が淡緑、浅緑と入り混じり、新緑の明るく瑞々しい彩りに目を見張る。季節感も相まって眩しいまでにふくよかな裸婦像に感動。季語聖五月にふさわしい新鮮な句である。

菖蒲の日しまひ湯に色残りけり三間敬子

 端午の節句に菖蒲の葉を湯に浮かせて無病息災を願って入浴する習わしがある。菖蒲の葉の青臭い強い香りが邪気を祓うとされ、漢方薬としても使われている。仕舞湯には、葉がふやけて湯舟に色がひろがっている状態、いかにも体のために効用のありそうな気がしてくる。仕舞湯にゆったりと浸かりながら様々な効果が期待できる気がする。

日の射せば何処からとなく梅雨の蝶守本みちこ

 夏になると大型の蝶、揚羽蝶などの夏の蝶が優雅に飛び回っている。反面、梅雨の晴れ間をぬって飛ぶ蝶や梅雨どきに木の下をそっと飛ぶ梅雨の蝶。小さな生き物を視点として、光景をさらりと詠みあげ、梅雨の蝶を見つけた安堵感が伝わってくる。

山里は高き空もつ桐の花小田絵津子

 初夏の頃、葉に先立って淡紫色の筒状の巫女の振る鈴のような美しい桐の花が咲く。香りがよく山中に自生しているものもあり、遠くからでも目立つ。良質な家具材となるため、かつては女子が生まれると桐の木を植えて、嫁ぐ時にそれで簞笥を作って嫁入り道具として持たせたと聞く。晴れ渡った山里の高い空に広がった高潔な桐の花を、平明に印象深く詠んでいる。