「雨読集」12月号 感想                        児玉真知子  

月白や波音ひろき九十九里青木洛斗

 「月白」とは、月の出に空がほんのりと白みわたって見えること。掲句の九十九里は、太平洋に面しきめ細かな砂浜と遠浅の海の景観が美しい。地曳網漁が盛んな「鰯の町」として、また弓状の海岸線は日本最大規模の砂浜として知られている。
 東の空がだんだんと明るんでくる頃、寄せては返す波音に、心地よく包み込まれている様子が浮かぶ。大きな景を格調高く詠みあげている。

菊の鉢米の磨ぎ汁そつとやる内海トミコ

 菊は桜と並び日本の代表的な花である。短植物で日が短くなると咲きはじめ、晩秋が花の盛りである。菊作りをご趣味としているのでしょう。米の磨ぎ汁には植物の育成を助ける栄養が含まれている。菊が見事に咲くのを楽しみながら丹精込めて育てている充実した日常の時間を彷彿とさせる。

くり返し若き日語る秋の宵田中せつ子

 秋の日が暮れて間もない頃、月は澄み虫の音にもしみじみと秋の深まりを感じながらの会話でしょうか。齢をとる度に若い頃の思い出ははっきりと覚えていたりする。くり返し話すことで共通の思い出に浸る楽しみもある。走馬灯のように思い出しても、印象深く脳裏に刻まれている事を、聞いてくれる人がいるという安堵感が鮮明に伝わってくる句である。

園児らのみなかくれんぼ秋桜谷本清流

 だれにでも親しまれている花、秋桜畑での作品。秋桜が繚乱にひしめき合って咲いている様子は美しい。平明で明確な表現から、秋桜が揺れるたびに、園児らの弾んだ声や秋桜に駆け込む光景の賑やかさが想像される。一気に詠み下して新鮮さが生まれた。

妹の母似の仕草秋彼岸濱中和敏

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるとおり、秋彼岸の頃から暑さは去り、涼しさが加わってくる。秋彼岸には、秋分の日を中心として7日間、墓参りをして先祖の供養をしたりする。
 久しぶりに会った妹の仕草が母親に似てきたなあと気づいた作者。年齢を重ねるごとに、母親の仕草一つ一つが思い出される。母親を懐かしく思う気持ちに溢れている。

秋の蝶高くは飛ばずまとひつく原精一

 秋の蝶は立秋を過ぎても見かける蝶全般を言う。秋日和に野原を歩いていると秋の蝶が近づいてきた。高くは舞い上がらず、即かず離れずにつきまとう感じを的確に写生。深まりゆく秋の気配とともに、どこか力なく飛ぶ蝶の姿に憐れさを覚える作者の優しさがある。

吊橋や湖面を走る秋の雲松井春雄

 秋も深まりつつある晴れ渡った日。吊橋から望む景は、静かに水を湛えた湖面を吹き渡る風に、細波が秋の日差しに輝いている。
 澄んだ湖面を走る風も秋めいて秋の雲は、くっきりと白く映っている。「走る」の措辞がリズムに乗ってどこかへ誘うような雰囲気を醸し出している。

栗飯を最後に食し娘が嫁ぐ丸山はるお

 栗を炊き込んだ御飯で、特別の日の格別に嬉しい記憶がある。嫁がれる娘さんの好物の栗飯を家族で囲む食卓が想像される。ほのぼのとした家族のやさしさ、思いやりに溢れた喜びの句である。豊かさを感じさせる栗飯が効果的である。

仕分けたる薬眺むる秋思かな守本みちこ

 句の調べが柔らかく、極めてもの静かな調べである。坦々とした日常の日課の一齣である。朝・昼・晩の薬を、間違いのないように数えて仕分ける。薬の多さにため息も出ると思われる。一体いつになったら減るのかと、薬を眺めながら安穏の日々を願って過ごしている様子がよく分かる。表現の単純化が効いている句である。

まあまあの太さと値段秋刀魚買ふ伊藤克子

 秋刀魚は秋の味覚を代表する魚で、形も色も刀に似ていることから秋刀魚と書く。近年は不漁が続き、価格が高騰していたが、昨年は水揚げ量が増え、手頃な値段で買えたようだ。庶民に馴染のある旬の秋刀魚は栄養効果も高いので好まれてきた。太さと値段の折り合いがついて、秋刀魚の味を堪能できた喜びを表現。微笑ましい句である。