「雨読集」2月号 感想                        児玉真知子  

俎のからりと乾き返り花飯田千代子

 返り花は、風も穏やかで春のような日和が続いている日に桜、山吹、つつじなどが時期外れに花をつけること。初冬の残照に凛として咲く花は、本来の季節の華やかさはないが、ひっそりとした情趣が感じられる。
 
季語の斡旋がうまく、「からりと乾き」の措辞が作者の気持ちを内包し印象が強い。

湯疲れのやうな湯宿の懸大根宇井千恵子

 掛大根は、収穫した大根を葉付きのまま洗い何本かを束ねて、木の枝や竿などに振り分けて干す冬の風物詩である。すると1週間から10日位で大根がしんなりとしてくる。その状態を的確に写生し「湯疲れのやうな」と、独自の観察眼が効いている。一読して共感を覚えた。

三角点踏みし証の烏瓜角野京子

 三角点は、三角測量に用いる際に経度、緯度、標高の基準になる点のこと。山の頂上付近や見晴らしの良い丘、公共施設の敷地内に三角点の目印として標石が設置されている。この標石を見つけると楽しい。登山愛好家にとって三角点は大切な目印になることも多く、三角点を探し歩くマニアもいるらしい。作者が三角点を踏んだ所に烏瓜を見つけた充実感と達成感が伝わってくる。烏瓜との取り合わせが眼目である。

小競り合ひ不意にはじまる鴨の陣斉藤やす子

 鴨の大部分は、10月初めに渡来し越冬し、春先に北に帰ってゆく。鴨の群れている状態を鴨の陣と表し、流れに沿って泳いでいる。束の間の静寂で不意に起こる水音の騒がしさに、「小競り合い」の措辞が生き生きと表現されて興味深い臨場感のある一句である。

笊に干す干支の張子や冬の空根本孝子

 張子は木型に紙を重ね貼り、乾いてから型を抜き取って作った物や、粘土で作った型に紙などを貼りつける技法もある。張子の中の鈴が鳴ったり、風で首を振ったりする干支も愛嬌があり人気である。
 
冬の真っ青に晴れ渡った庭先に、絵付け前の張子を天日に乾かしている情景は、懐かしく心豊かにしてくれる。季節感を詠み込んで作者の優しい眼差しが注がれている。

綿虫や言問ふ如くひたと飛び藤原正夫

 綿虫は体から白色のろう物質を分泌し、空中を青白く光りながら白い綿屑のような物を付けて飛ぶ。この小さな綿虫を観察し、「言問ふ如く」と擬人法を用いての表現が新鮮である。何かを言いたげにひたむきに飛んでいる様に、懸命に生きている命の不思議さが感じとれる句である。

池の辺にかがやき添ふる枯尾花和田洋子

 枯尾花は穂絮が飛び、茎も葉も枯れて頼りなげに風に吹かれるようになる。「尾花」は芒のふんわりとした穂を動物の尻尾に見立てた呼び名だが、「枯尾花」にはもの哀しく寂しい印象がある。
 
この句は、真正面から景色と向き合い、しばし日が当たり華やいでいる状態を、平明に詠み込み、「添ふる」の措辞が句に優しさをもたらしている。

冬草踏む土手の弾力波郷の忌古郡瑛子

 冬なお青く枯れ残っている土手草を踏みながら、心なしか力なく見えていた冬草のしたたかな生命力に驚いている作者。折しも波郷忌で、叙情的な瑞々しい生命謳歌に満ちた波郷の作風は、人間探求派とよばれた。亡くなるまで闘病生活を送り、俳句を発表し続けた波郷の生きざまに、冬草のような強さを感じる力強い句に仕上がっている。取り合わせの妙に納得した。

何となく過ぎゆく日日や冬至粥平向邦江

 平穏に日々が過ぎていくことに感謝するとともに、年相応の健康状態に不安を感じるようになってくる。
 
冬至は、1年で昼の時間が最も短くなり、太陽の力も弱まり全生物の生命力が衰えるという時季でもある。この日は、粥や南瓜、蒟蒻などを食べ生命力を養うと共に、厄を祓う風習がある。近年は、馴染が薄くなってきているが、作者は、真面目に習わしに従い息災を願って日常を恙なく過ごしているのであろう。

毛繕ふ猿の親子や日向ぼこ高橋喜子

 冬の日がうらうらと差す日だまりで、毛繕いしている猿の親子の様子を観察。動物園でよく見かける光景であるが、見ていて飽きないほど猿の細かい仕草に親子の情愛を感じる。季語の季節感がしっくりとして微笑ましく幸せな気分にさせてくれる。