「雨読集」3月号 感想                        児玉真知子  

山刀伐のしじまを破る冬の鵙阿部美和子

 芭蕉の紀行文「奥の細道」で最大の難所として知られている山刀伐峠は、山形県の最上町と尾花沢市を結ぶ峠である。ブナ林や他の広葉樹林に鬱蒼と覆われ、曲りくねった山道は昼なお暗く夜歩くようだと芭蕉は記している。峠名は峠の形状が昔の山仕事や狩りの時に被った「なたぎり」に似ていることに由来すると言われている。
 
冬の鵙は、高い木の天辺に止まって甲高い声で鳴く。嘴の先端が鉤状で鋭い爪のある脚で獲物を捕らえる。冬が深まるにつれ、高い声を耳にしないが、深々とした峠で鳴いた冬の鵙の声を鮮明に捉え、山刀伐峠との取り合わせが効いている。

川風のとがる朝なり寒の入市川春枝

 「寒の入」は小寒に入る日のことで、1月5日頃。この日から節分まで本格的に身の引き締まるような寒さの期間に入る。朝の冷気の感触から、何かしら昨日とは違う気付きがあった作者。時候の季語には、同じような印象を感じることが多い。「寒」のイメージから声、影、音など様々な物に「尖る」感覚を持つ。掲句は「とがる」と平仮名にして「寒の入」らしい雰囲気を醸し出している。

風吹けど我関せずと浮寝鳥岩永節子

 水上で羽に頭を埋めて眠っているように見える浮寝鳥。昼は群れで固まって休んでいる。水に浮いて寝るのは、外敵から身を守り、気温が氷点下になると、水の方が暖かいので浮いている。いつ見ても、のんびりとした優雅な姿だが、浮寝の合間に羽脂腺から出る脂肪を丹念に塗りつけて、体温を逃さないようにしている時もある。多少の風には惑わされず、流されず、逆らわず、自適に漂泊する様子は羨ましくもあり、親しみを覚える作品である。

寒卵そつと割つてもよく響く小林美智恵

 寒卵は、寒中に産んだ卵で貯蔵が効き滋養が多い。殻も少し堅く、黄身が盛り上がって崩れにくく好まれる。寒の時期の朝は、音を立てないように割ったつもりでも殊更響く。「そつと割つて」の措辞に、家族への細かい気遣いと作る喜びを感じる。日常の一齣から表現できる俳句の素晴らしさである。

双眼鏡に入り切らざる鴨の陣斎藤やす子

 鴨には沢山の種類がある。大部分は10月初めに渡来し越冬し、春先に北へ帰って行く。単に鴨といえば、真鴨のことで鳥の句では一番多く詠まれている身近な水鳥である。鴨は群れをなして水上に陣を組む。この景を双眼鏡で観察しようとした時の句。鴨の陣を捉えてレンズを覗いたら、全部入りきらないおかしさを味のある一句に仕上げている。

車椅子押す妻の肩冬の蝶花里洋子

 冬の蝶は、晩秋に発生した蝶が初冬まで生きのびて、暖かい日に弱々しく飛んでいる。ご主人の車椅子を押しながらゆったりと散歩をしている様子が浮かんでくる。冬の蝶にとって日向の肩の暖かさは、とても心地よく翅を休めている。少しの間、飛ぶ力を溜めているのでしょう。偶然の一瞬に焦点を当てた印象深い句である。

同郷といふ気安さやおでん酒平向邦江

 おでんをつつきながら飲む酒は、寒い時は熱燗がお勧めでしょう。おでん酒で心も解れてくる。最近はパワハラとかモラハラとか精神的に気を遣う場面が多い。同郷の言葉は懐かしく気持ちが通じ合える気がする。ついつい会話も弾みがちになり楽しいお酒の時間が流れる。

さざなみのやうにとどきし除夜の鐘山本松枝

 除夜の鐘は、大晦日の夜12時から各寺院で鐘を撞く。百八の煩悩を消滅させて新年を迎える意味をこめて108回撞く。この一打ずつの鐘の音が小さく波打つように届いてきた。平明な句ながら、除夜の静けさと夜の澄み渡った気の中に、心が洗われていくような波音がかすかに聞こえてきたのであろう。新しい年を恙なく穏やかな気持ちで迎えられたことでしょう。

雪掻きの時折青空見上げたる渡辺信子

 12月に入ると、各家庭で雪対策として、雪掻きの道具などを購入し備える。この頃になると、毎日が雪掻きの日々となる。通常は1日3回の雪掻きが仕事となる。毎日窓の外を眺めて雪の晴れ間を選んで雪掻きをするのが日課となる。朝から晩まで雪降る日、吹雪く日もある。雪降る日はどんよりと曇った日が多い。掲句は、晴れた日の雪掻きの一齣を表現。一面真っ白な雪国の空は殊に青い。雪を掻く合間に生き返るような束の間の安らぎがある。