「雨読集」5月号 感想                        児玉真知子  

盤上に白黒競ふ春休み青柳園子

 春休みになって、碁のできる相手が実家に帰って来るのであろうか。盤上の宇宙にどんな模様を描こうとしているのか。対局に心が逸る。
 
掲句は盤上に白と黒の石を、一打一打真剣に打つリズムと春休みのイメージが相俟って心をわくわくさせる。囲碁は世界中の人々に親しまれ、囲碁の具体的な描写で興味の広がりをみせる。

引き潮の磯石蓴採る人数多岩山有馬

 作者は、与論島にお住まいの方。海がいかに美しいか、サンゴ礁に囲まれた透明度の高い海で採れる石蓴を詠んでいる。岩場の浅瀬にびっしりとはり付いて生息している石蓴は、ミネラル、食物繊維、ビタミン等を豊富に含んでいる。引き潮になってエメラルド色の石蓴を一つ一つ手で摘み採って、きれいに水洗いをして天日干しをする。この時季になると海岸は、多くの石蓴採りの人で賑わう。石蓴は、磯の香りが豊かで春の訪れを感じる。
 
掲句は対象物をしっかり捉え自然の海の景が浮かんでくる。

白子干すけふ大漁といふ寡黙請地仁

 「白子干」は、鰯の子魚をさっと茹でて塩干ししたもの。浜一面に干して乾燥した様子がちぢれて縮緬に似ているから「ちりめんじゃこ」「ちりめん」とも言われている。
 
最近は不漁が続いている中、大漁の喜びの気持ちを素直に表に出さない寡黙。「寡黙」の措辞が高揚する気持ちを印象深い句にしている。

無住寺の藪の中なる初音かな齋藤眞人

 無住寺とは、住職のいない寺を指す。後継者不足、檀家減少などにより寺の経営が困難になり住職不在の寺が年々増加していると聞く。荒廃した無住寺の藪の中から、鶯が春に初めて鳴く声「初音」を聞き取った。春の先がけとして親しまれ、春告鳥とも呼ばれる。無住寺と初音の取り合わせが絶妙で初音が鮮明である。

春の鴨ぶつかり合うて鳴き合うて布谷洋子

 鴨は春先に繁殖のために、シベリアなどの北を目指して帰っていくが、何らかの事情で帰らずに残っている鴨を「春の鴨」と言う。穏やかな晴れた日に池でふと目にした光景でしょう。春の鴨は、羽ばたいたり、逆立ちして餌を捕ったりと活発に動いている。鴨を観察しながら温かく見守っている作者の優しさが感じられる句である。

露天湯の雪解雫の波紋かな福田初枝

 東北や信州には、今も湯治場の雰囲気を残す温泉があり露天湯も備えている。露天湯の突き出している屋根の軒から雫が落ちてくる。屋根に積もった雪が雪解け水となり一滴ずつ雫となって落ちるさまは風情がある。やや間をおいて落ちる雫は力強く波紋を広げていく。身も心も日常から解放され癒されていく。本格的な春の訪れを待つ喜びが伝わってくる。瞬時の光景に焦点をあて平明に表現されて臨場感に溢れている。

ふるさとへうなじますぐに鴨帰る廣仲香代子

 「鴨帰る」は冬を越した鴨が北方へ帰ってゆくこと、「引鴨」の傍題である。鴨の気配を感じて空を見上げると北方をめざして一様に、首を伸ばして大空を飛んで行く鴨の群れに遭遇する。季節の到来と共に鴨が帰って行く様子を「うなじますぐに」と的確な把握で活写している。無事に遠いふるさとへ帰れるようにと祈りながら見送っている作者の様子を想像する。存在感のある一句である。

嫁してより大き擂鉢納豆汁結城トミ子

 「納豆汁」は、山形地方の古くから親しまれている郷土料理で、冬場のたんぱく質を補い体も温まる。納豆汁は身近な具材で味噌汁を作り、納豆粒が見えなくなるまで、擂鉢で摺りつぶしてとろみをつけ汁に馴染ませる。冷めにくく体を温める汁物として好まれている。最近は、手間がかかるため一般家庭で作ることは少なくなっているとか。代々自家製の味噌で受け継いできた味は忘れられない家庭の味となる。嫁いでから使ってきた大擂鉢は、家を守り継いできた一つの証であり、人生の重みが伝わってくる句である。

重たげに潤みて上る春満月和田洋子

 春満月が東の空から昇って中天にかかる頃、春の月は、夜空に霞んで見えることが多いが、澄んであたたかく、おおらかさを感じる時もある。大きな満月の靄がかった驚きを「重たげに」と独自の表現が的確で、説得力のある感慨深い句である。