「雨読集」6月号 感想                        児玉真知子  

波来れば逆らはず乗る春の鴨石川敏子

 冬を越して春になっても、北に帰らず河川や湖沼に残っているのが春の鴨。逆立ちして餌を捕ったり、水遊びをしたりと長閑な光景が浮かんでくる。波に身をまかせて鴨の漂っている様子に自分の思いを重ねながら、ゆったりと時の流れを楽しんでいるのが伝わってくる。

鴉の巣即かず離れず親の影大細正子

 繁殖期の鴉は、春になると高い木や鉄塔などに巣を作る。この時期は特に警戒心も強く人も威嚇される。抱卵から二十日ほどで雛になり、一か月で巣立ちをする。
 
掲句は、鴉の巣を覗き見る機会を得て一句に仕上げている。雛と親鴉との距離感を「即かず離れず」と表現しきっていて、雛を不安げに見守る親鴉の情愛が想像される。そろそろ巣立ちが近いのであろう。

せせらぎに尾鰭をたたく花鯎金澤八寿子

 鯎は全国に分布している淡水魚で、季語の花鯎は、春の産卵期に腹部や鰭に婚姻色と呼ばれる鮮やかな線が現れるので「花鯎」と言われている。湖や川で産卵するため上流に群れで遡ってくる。
 
三月末に偶然桜鯎を見たので、この情景が思い出される。澄んだ川の浅瀬を懸命に遡っていく花鯎の俊敏な動きから逞しい生命力を感じる句である。

挨拶のやうな旋回鳥帰る小林啓子

 日本に渡ってきた鳥達が、春北方へ帰ることが鳥帰る。整然と大群を組んで帰る大きな鳥から、群れをなして一気に帰っていく小鳥など様々である。鳥が旋回するのは、特に大きな鳥で、上昇気流を利用して羽搏かず大きく輪を描くように高く飛ぶのである。この旋回の様子を「挨拶のやうな」の措辞が新鮮で独自の世界観を感じる。鳥たちの長旅に手を振って励ましたくなるような句である。

路地多き谷中寺町猫の恋小林美智子

 昔ながらの谷中の路地の固有名詞が効いて多くの事を思い巡らせてくれる句である。谷中は猫の多い町、路地の多い寺町で有名で、ひとつ路地を入れば別世界が広がっている下町の情緒あふれる風景が魅力の町である。
 
散策していて様々な猫に出会うのも楽しい。大地震や大戦でも比較的被害が少なかったため古い町並みや建造物が残されているのである。路地から猫の独特な声が聞こえてくるようで季語が効果的である。

解きほぐす鉢の土の香春きざす齋藤キミ子

 「春きざす」は「春めく」の傍題である。風はまだ少し肌寒いが、「春兆す」は何かしら万象春めいてくる気配が感じられる。日差しのある日は、春の訪れの暖かさを満喫できる。鉢の土を、空気を入れ込むように丹念にほぐしていくと土の香がする。春を敏感に感じ取っている日常の一齣である。明るい春の雰囲気が伝わってくる句である。

糸柳風の形に流れけり酒井登美子

 糸柳は、薄緑の葉が美しい。湖畔や水辺によく見られ、嫋やかに細枝が垂れ下がっている様は詩情を誘う。風が吹くたびに枝葉ごと風の形に膨らんで流れているのをさらりと捉えて、風情のある句にまとめている。

風にまだ残る堅さや入彼岸高橋喜子

 春分の日を中日とした三月下旬の前後三日の計七日間を春彼岸、この初日の入彼岸をストレートに表現している。風もまだ冷たく寒く感じる中、鋭い感覚で「残る堅さや」の措辞に作者の感性が光る。正岡子規の「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」に頷ける。

浜防風濯ぎし度に砂光る根本孝子

 「浜防風」は、海岸の砂地に自生している。根が砂中に深く伸び、厚く光沢のある葉は砂地に広がり、白い小花が密集して咲く。食用としても栽培され、香気とほのかな苦みが喜ばれている。
 
浜辺で摘んだ浜防風を念入りに流水で濯ぐ度に砂が光って零れるのに焦点をあて写生。珍しい季語から多くの想像を生む句である。

先生にあだ名のついて夏近し守本みちこ

 入学してようやくひと月近くになり、周りの友達や担任の先生にも少し慣れてきた頃のクラスの様子でしょう。新任の先生なのか、先生のあだ名がついて、児等の賑やかな話声が聞こえてきそうな季節感のある面白い句である。