「雨読集」7月号 感想                        児玉真知子  

雲近き風の育む蕨かな河内鷹志

 蕨は早春に新芽が出て山野に群生する。若葉が開かないうちは、先が丸く渦巻き小児の拳に似ているので傍題に「蕨手」の名がある。若い葉や茎は柔らかくほろ苦い。しっかりと灰汁を抜いて、春の味覚として楽しめる。干して保存食にもなる。また、根から澱粉を取り人気の蕨餅の材料となる。
 
辺りを見渡しながら山道を登っている時の景でしょうか。澄んだ山の空気や風を存分に吸って、太く逞しく育っている蕨を見つけた時の喜びが平明な句から溢れている。

汗拭かず髷も直さず四肢を踏み河合信之

 汗は夏に特に多く分泌されるので、夏の季語に分類されている。一読して相撲部屋の稽古を活写して、激しい稽古の様子が窺われる。集中力を高め、技を磨く毎日の貴重な時間である。具体的な表現から相撲の世界の厳しさが伝わってくる。軽快で臨場感のある句に仕上がっている。

一雨に忽ち開く花蜜柑黒田幸子

 花蜜柑は、5、6月頃白い五弁の芳香を漂わせる。海が一望に開けた斜面に白く咲いている花をイメージする。今夏は例年になく猛暑による水不足が懸念されている中、恵みの「一雨」が花蜜柑の命を繋いでくれたのかと様々な思いを誘う。可憐な花の芳香もことの他強く漂っていたのであろう。

桜東風からから囃す恋の絵馬大胡芳子

 桜にそよそよと吹く頃の東風が「桜東風」で、まだ少し肌寒さを感じる時季。社寺に願いごとを書いて奉納している絵馬が、風の吹く度に擦れ合って鳴っている様を「からから」というオノマトペが、心地良いリズム感を醸し出している。恋の願い事が書かれてある絵馬との取り合わせが面白く、あたかも、からかって囃したてているような捉え方が巧みで印象的である。

逃水や橋のむかうに公会堂田中せつ子

 「逃水」は、春の草原や舗装道路で遠くに水溜りがあるように見え、近づくと逃げてしまう現象。光線の屈折による自然現象で気温、風などの条件が整わないと発生しない、蜃気楼の一種。富山湾は蜃気楼の名所である。
 
公会堂へ向かう途次でしょうか。「逃水」の珍しい現象に遭遇し、一瞬の幻想の体験を詠んだ句である。

行く春や化野に聴く昼の鉦中道千代江

 化野は京都の嵯峨野の奥にある小倉山の麓の野で「あだし」とは儚い、虚しいという意味。「化」はこの世に再び生まれる事や極楽浄土に往生する願いなどを意図している。「化野」の地は、平安時代から葬送の地とされ、その霊を弔う寺として化野念仏寺がある。境内には、石仏、石塔が立ち並び独特の雰囲気に包まれている。
 
化野を訪れた時の句。寺の供養の「鉦」の響きから、行く春を惜しむ気持ちが強調されて季語が効いている。

土手尽きてより神領や著莪の花野尻瑞枝

 著莪の花は、茎の先にあやめに似た花をつける。白色に紫斑のある花で黄色い斑があり、ふちに糸状の細かい切れ込みがある。土手の尽きた所から神領が続く。湿地を好み群生して遠くからでも白が際立って美しい。朝開いて暮れに閉じる。別名「胡蝶花」とも言われ胡蝶が舞うような優美な花の姿に心が安らぐような句である。

禊場の水の勢ひや風光る鶴田武子

 「禊場」は、体を清め罪やけがれを水で洗い清める「禊」を行う場である。近くの山には、掲句のような禊場が滝の傍にある。うらうらと晴れて軟風が吹き渡り、まばゆいような明るさを風が光ると感じたのでしょう。水の迸る音も、中七「水の勢ひや」で表現され、季語の取り合わせが効果的で臨場感を高めている。

花水木幸せさうに空を見て松村由紀子

 花水木は庭木、公園樹、街路樹として植えられ身近に見られる。白い花は枝先に上向きに咲き、空を見ているように見える。中七の「幸せさうに」の表現は自身の胸の内にある羨望もあるのでしょうか。空を見上げながら、明るく前向きな気持が感じられる深みのある句である。
 
細見綾子先生に「菜の花がしあはせさうに黄色して」がある。