今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2020年12月号 (会員作品)

格子戸は灯りて風の盆中止住田うしほ

行く秋や幾星霜の五大堂齊籐俊夫

文机の墨が香に立つ西鶴忌小島利子

この年の二百十日の暑さかな布施協一

山伏の足踏んばりぬ鰯雲峯尾雅文

仕舞湯のなんと柔らか敬老日完戸澄子

理事会に闖入者あり秋扇藤沼真侑美

母の言葉今なら分かる秋彼岸高瀬栄子

 

鑑賞の手引 蟇目良雨

格子戸は灯りて風の盆中止
 風の盆を正面から詠んだものでなく、中止の景を詠んだ句。格子戸が灯ったままという描写が、表に出て踊やおわらを流すことが出来ない無念さを暗喩している。破調めいているところも無念さを強めている。リズムも上々に出来上がった。

行く秋や幾星霜の五大堂
 松島五大堂の潮錆びた景色から呟いたのであろう。いつ頃からお前はそこにいるのかと。幾星霜の語がこの句では効果的である。

文机の墨が香に立つ西鶴忌
 西鶴は芭蕉とほぼ同年を生きた。芭蕉は俳諧で名を残し、西鶴は浮世草子・浄瑠璃作者ちして名を残す良きライバルであった。陰暦八月十日に亡くなったので秋の気配濃厚の季節である。墨を磨り文を書こうとしていると墨の香が立つことで西鶴を偲んだのである。しみじみとした西鶴を偲ぶ一句となった。

この年の二百十日の暑さかな
 二百十日は九月一日にあたるので残暑厳しい盛りである。この年は特に暑さが厳しかったと言っているが、どの年かは作者それぞれが決めればよいと思う。

山伏の足踏んばりぬ鰯雲
 山中に分け入った山伏の足元の悪さが実に良く分かる。鰯雲の季節なので山伏も少しは安らいでいることだろう。雲の峰にしたらもっと強烈な句になったかも知れぬ。参考のために申し添える。

仕舞湯のなんと柔らか敬老日
 敬老の日に仕舞湯を使ったらその湯の柔らかさに気が付いて一句になった。仕舞湯は普通薄汚れるものであるが、それが柔らかいと感じたところに、きれいに生活する老人の生活が写生されていると思う。

理事会に闖入者あり秋扇
 いろいろな理事会があるが、庶民にとってはマンション管理組合理事会などを想像してもよい。窓を開けて換気をよくして開いていた理事会に、蜂や蟬などの闖入者があり秋扇で追い払った光景などがぴったりする鑑賞と思った。

母の言葉今なら分かる秋彼岸
 我々が両親と同じ年代に達した時に、かつては分らなかった言葉がよく理解できるようになる。女性には女性にのみ通用する言葉があるのだろう。男女同権の時代といっても男と女には根本的に違う何かがあると思う。作者に聞いてみたいと思わせる素直な句である。秋彼岸の季語がうまく収まっている。