今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2021年10月号 (会員作品)

失敗をいくつ重ねて雲の峰東京 高瀬栄子
 雲の峰の大きくなる迄を観察。もくもくと湧き上がる一瞬一瞬は失敗を重ねて盛り上がっているのだと看破した。おのれの人生と重ね合わせているのかも知れない。「いくつ」の措辞は〈雲の峰いくつ崩れて月の山 芭蕉〉に通じて効果を上げている。同時作〈不揃ひのトマト不揃ひの記憶〉も自己を投影している。

猿酒や期限の切れるパスポート東京 島村若子
 誰も猿酒なぞ飲んだことはないだろう。飲み古した酒を猿酒に譬えている遊び心がある。期限間近のパスポートを手にして、過去の外国の旅を懐しんでいるのかも知れない。同時作〈夜のさみし夫婦で螻蛄は鳴くといふ〉など新鮮な着眼点を感じる。

青黴の多少は食ひし昭和かな東京 高橋栄
 賞味期限にやかましく食品ロスが横行している現代を揶揄している。食品に生えた青黴くらいは拭き取って食べた昭和の時代を思い出せと叱咤している。ささやかな事だが俳句も記録文学の一つであることを忘れてはならないと思う。

籐椅子の荒き目に身の浮きにけり酒田 佐々木加代子
  籐椅子の網目の大きさに注目して作った句。荒い網目は大きな体の人のために作られたのだろう、がっしりした作りに思える。軽いおのれの身を載せると浮き上がるようだと楽しんでいる。

黙禱に秋の風鈴鳴りにけり東京 山宮有為子
 原爆忌や敗戦忌など、暦が秋に入ってすぐ、黙禱を捧げる機会が続く。まだ吊り残してある秋の風鈴の音が心に沁みるときだ。黙禱の言葉がよく生かされている。

髪を切り日焼け止め塗る陸上部長岡 矢尾板シノブ
 陸上競技部のよくある光景だが、百分の1秒を競い、1センチの距離を伸ばす極限の努力をする意気込みが髪を切るに込められていると思う。女子選手が髪を切るときのことを考えれば尚更だろう。中学か高校の競技部の光景だろう。

墓洗ふ夫になき世を語りかけ鶴岡 小川爾美子
 墓を洗いながら亡き夫に、夫の死後に起こった世相を語りかけている。その中に新型コロナで苦労していることも含まれていることだろう。口の中で呟いていたとしても「語りかけ」と表現することで句が生き生きしてくる。作る時の秘訣だ。

その他佳句          

百足虫這ふ音に目覚むる畳の間榎本洋美
 (聴覚よし)    

夏萩や僧の尖りし足袋の先石井淑子
 (取合せよし)   

鬢付けて浴衣三人地下鉄に齋藤俊夫
 (鬢付けに想像膨らむ)

村芝居偽海老蔵に見惚れけり平照子
 (偽海老蔵よし)