今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2025年3月号 (会員作品)

復路なき魚の遡上や空也の忌小杉和子
 陰暦11月13日が空也忌とされる。寺を出る時が命日だと空也は遺言したそうだ。痩せた法体に口から南無阿弥陀仏の六文字を吐く像がよく知られている。
 復路無く遡上する魚はいろいろあると思うが、先ず、鮭が思い浮かぶ。あるものは捕われて乾鮭にされる。空也上人の痩せた像に似ている事を作者は連想したかもしれない。

寒灸や我身を焦がす罪に耐へ関野みち子
 我が身を焦がすほどの罪とは大袈裟かもしれないが罪の重さはそれぞれが天秤に架けて決めるべきものだ。一挙手一投足に裁きを求めている人の感懐なのであろうか。掲句と比べて〈聖樹めく通天閣よ故郷よ〉の句には、通天閣を聖樹のように見て単純に喜ぶ大阪人の別の顔を見た気がした。

寒林に人参色の陽が沈む鳥羽サチイ
 寒林に落ちる夕日の色を人参色と見做したところが異色だ。みずみずしい落日に明日の希望を感じているのだろう。

侘助や木鐸鳴らす厨口河内正孝
 素材の揃え方が巧みな句。侘助で静謐な庭が、木鐸で寺が、厨口で寺の庫裡の前が理解出来る。この句の眼目は「鳴らす」にある。木鐸を鳴らすことで一気に風景が動き出すのである。同時作〈「いつもの」と言ひ冬帽掛くるバーの壁〉のような軽いタッチの句も俳句の世界を広げてくれる。

笑はれて笑ひかへして福笑ひ佐藤和子
 ネット社会、AIの広がりで世界は無機質なものが多くなってきた。福笑のような単純な遊びをして無防備に心から笑える生活が貴重になってきたように思える。笑われたら笑い返すのが素晴らしい世の中に再びなって欲しい。

淵に拠る黙の寒鯉七つ八つ浅田哲朗
 簡潔な表現の句だ。池の深いところを頼りにして寒の鯉が七つ八ついて、皆動かないことを黙の一語で表現した。よく見る光景だがそれを表現できた。

初鴉寺の水場にしぶきあげ居相みな子
 初鴉を描くとときに少し身構えてしまうのだがこの句は見たままに描いて初鴉の生態を示してくれた。人間だけが正月だから畏まっているのだが、鴉に盆も正月もないことをこの句は示した。素直で好感が持てる。正月だけれどこの初鴉は手水場で水遊びに興じているのだろう。

おほいなるものに生かされ初御空桑島三枝子
 初空を見上げて己が大自然に生かされていることを実感したのだと思う。そして自然に感謝する気持ちが俳句作りには特に大切だと思う。

雪吊の縄八方に弛みなし阿萬旅人
 雪吊の姿を過不足なく詠った。風も無く好天を思わせる。

付の鶲も休む丸太椅子青木民子
 鶲が丸太椅子にいるだけでは面白くない。紋付の鶲と言い切ったところに味がある。

紅まどんな香り広がる漱石忌河田美好
 愛媛特産の高級蜜柑を詠う。紅マドンナとあれば漱石の坊ちゃんと響きあう。