今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2025年5月号 (会員作品)

夫といふ悪友ありき春の星小杉和子
 連合いをどのように皆さんは表現するのだろうか。作者は悪友のようであったと表現した。悪友という表現からは幼馴染で、同じ年頃で、何でもずばずばいえる関係が想像できる。悪友ゆえに亡くなられて喪失感が強かったのだろう。春の星のどこかに居はせぬかと今日も星空を見上げる作者と思う。連れ合いは宝物だ。

結界の注連新しく修二会待つ石井淑子
 東大寺二月堂の修二会は千数百年の歴史がある行事で終わると奈良に本格的な春が訪れるという。二月堂へ通じる参道の至る所に新しい注連が張られ、いやが上にも心が昂る。夜の行事を待つ、未だ明るい境内を一句にした。

柊挿す穴は父より同じ場所日浦景子
 柊の葉と焼鰯の頭を軒先に吊るして、魔除けをする。都会では建物の構造上こうした行事は出来にくくなった。作者のお住まいの奈良の源流の宇陀ではまだ行われているのだろう。軒下に専用の釘穴があり父が開けてくれた懐かしい場所であることを作者は偲んでいる。歴史ある古い町並みが想像できる。

茶器ひそと個を主張する竹の秋木原洋子
 茶器という言葉を聞くと〈茶器どもを獺の祭の並べ方 子規〉が浮かぶ。獺が獲物の魚を岸に並べて楽しむように、子規も枕元に茶器をあれこれ並べて蘊蓄を語り合って楽しむのである。単なる一個の茶器であるが、それにまつわる話は尽きない。さらりとしているが古都の陰暦3月を体感させてくれる。

春泥や風呂立てくれし祖母のこと浅田哲朗
 春泥の庭を歩く祖母の懐かしい姿が目に浮かぶ。外風呂や外釜式の風呂が連想される。祖母の下駄か足袋に春泥が着いていることから風呂を沸かしてくれたことに感謝する作者がいる。俳句はこうして使うと懐かしい一瞬、輝かしい一瞬を書き留めてくれる。

支へ合ふ余生ほのぼの納豆汁高村洋子
 人という字は人と人が支え合っている形から来ていると言われても素直に受け入れることが出来なかった若かりし頃と違い、年を取ると誠にその通りと思える。納豆汁の温かさも粘り気も素直に受け入れられるのは年老いたからこそ。

墓じまひ骨壺抱けば春の雪桑島三枝子
 骨壺のお引越しをしなければならない時代が来るとは誰も想像していなかっただろう。最後に荘厳にしてくれた春の雪が重く美しい。

生半に降りては止みぬ春の雪大塚紀美雄
 積もる程降るかと思えばやがて止んだ春の雪らしさを「生半(なまなか)に降る」でうまく表現した。

新調の長靴に雪搔きにけり小川爾美子
 長靴を新調して、子の卒業式に行こうかなと思っていたら雪搔きをすることになった今年の雪のしつこさ。

田の畦にむつと背伸びの犬ふぐり百瀬千春
 田の畔に犬ふぐりがありましたという報告でなくむっと背伸びをしていましたと擬人化したことで生き生きした。