今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2025年8月号 

にほひたつ塗香や高野夏初め宍戸すなを

 高野山での作。塗香は「ずこう」と読み体に塗るお香のこと。暑いインドから伝わった体臭を清める香であり、長い歴史を持つのであろう。今でも使われているところが仏教世界の凄さを感じさせる。初夏の高野山を訪れたとき真っ先に感じた塗香の香を敏感に感じた作者の感受性の賜物。

人生は案外すてき多佳子の忌小杉和子

 「人生は案外素敵」と感じるようになるまでどれほど哀楽を経験されたかがこの句には含まれている。私は楽観主義者であるので、人生は素敵なものと日頃思っているがそれでも人生何が待っているか分からない。表面的な事だけを読まないで裏面まで思いを凝らすと俳句の深さが理解できるようになる。

奈良若葉金字鮮やか七支刀日浦景子

 4世紀半ばに百済から倭国に贈られたとされる七支刀を題材にした作品。石上神社の宝物だが奈良国立博物館で一般展示された。刀身に金象嵌された文字が解読されている。見た目は6つの枝が生えているように見えるが日本書紀に登場する『七枝刀(ななつさやのたち)』だという見解で七支刀と呼ばれる。展示してある館内まで若葉光は射さないが気分としては若葉の中に燦然と金文字が見えたように感じたのだ。

ふらんどを漕ぎ一茶の句口遊む瀬崎こまち

 一茶句の本歌取りだが、ぶらんこを「ふらんど」ということに慣れていない私たちにとって挑戦欲を起こさせる作品になった。一茶の〈ふらんどや桜の花を持ちながら〉と作者が口遊みながらぶらんこを漕いでいる。中々思いつかない着想である。

一夜城の蜘蛛の囲払ひ野良着干す古屋美智子

 蜘蛛の巣を一夜城と表現したことが手柄。綺麗な模様を編んで蜘蛛が張り巡らした囲も、野良着を干す人の手にかかっては一夜城が忽ち壊されてしまった。こうした見立ては中々出来ないと感心した。

ただいまの声に浮き来る熱帯魚源敏

 今、ユーチューブなるものを見ると、生き物が如何に人間に懐くかを知ることが出来る。猛獣からトカゲ類、さらに蟹や蛸まで人に懐く様子が見られる。同じ生き物として共感する何かが作用しているのだろう。外出から帰って来ると、熱帯魚たちが水面近くに浮き上がって来て迎えてくれる幸せを作者は一句に仕立てた。

時の日や母の時計に電池入れ百瀬千春

 昔なら、「母の時計の螺子を巻く」と表現したのだろうが、現代は電池が動力源になっているから動かなくなっていた母の時計を懐かしんで電池を入れて蘇らせた。

――その他秀句――
母の日や籐の針箱開けてみる髙梨秀子
米騒動どこ吹く風と田植する大塚紀美雄
よなの降る芙美子の歌碑や枇杷熟るる阿萬旅人
川音の離れ座敷や洗鯉河田美好
籐椅子や空の青さをゆらし見る高村洋子