今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2026年1月号                                               

蚯蚓鳴く相槌ひとつ欲しき夜に 小杉和子

 地中の蚯蚓は鳴かないが、大地に耳を近づけると何か聞こえてきそうだ。日本人は大地から聞こえる音に、蚯蚓鳴く、螻蛄鳴く、地虫鳴くと耳を傾けて来た。鳴かない大地に鳴く声を聞き止めるのは日本人だけだろう。夜、窓を開けて庭に耳を集中すると蚯蚓の鳴く声がした。相槌の欲しい時に正に庭から聞こえて来たのであった。

手の甲のどら焼に似て九月尽 宮島幹治

 「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る」(啄木の「一握の砂」より)がある。働いて手が日焼してどら焼のように逞しくなっているのを見出したのではないでしょうか。異常な暑さの記録になっている。

青天へ熊を追ひ遣る発砲音 小川爾美子

 熊は動物園で見るものだったが近年家の周りで見かけるようになった。掲句は本当の熊を見ていないにしろ身近かに熊の恐怖を感じた作品。好天気なのにおちおち外出も出来ない切なさがある。

故郷や柚の香りの秋刀魚鮨 河田美好

 秋刀魚鮨は紀州南端の名物。細身で脂も少し抜けた秋刀魚を漬けて鮨に作る。柚子の隠し味が古里のものなのだろう。鮨好きにとっては堪えられない。

虎落笛叫び続けるムンクかな 渋谷正子

 虎落笛の金切声のような音をどう表現するか考えた作者の到達点は「ムンクの叫び」声に似ていると感じたことだ。

ひよーんひよーん唸る電線神渡し 源 敏

 神が旅をするときに吹く風が強めであったことを言っている。電線が唸る様子を「ひよーんひよーん」とオノマトペで表現して神の旅の不安をうまく表現できた。

貴船にも熊が出るとや鵙猛る 山下善久

 熊の騒ぎは東北だけのものと思ったら、貴船のあたりにも及んでいて作者は驚いたのだろう。鵙の猛り声が熊の注意を喚起している。この場合季語は鵙になる。

噴火口のぞき見るかに鳥渡る 齊藤俊夫

 渡り鳥の飛行経路は摑みづらいと思うが、機会があれば目の当たりにすることが出来る。九十九里で遊んだ時に潮煙のする渚沿いに雁の列を見たことがある。作者は火山に登って見たのかも知れないし、飛行機の中から見下ろしたのかも知れぬ。

壺に活けぐらりと傾ぐ柿の枝 面地豊子

 大きな壺に活けられた実の付いた柿の枝ぶりが見えるようである。奔放に伸びた柿の枝はどう活けても落ち着きが無さそうである。

曼珠沙華父の墓石の馬券かな 伊藤宏亮

 暮石の上に馬券を置いてある面白い光景。父が競馬好きなことが分かると同時に曼珠沙華の朱色が父の破滅的な生活ぶりを暗示しているようである。

日めくりをぴりと剝がして冬に入る 田中明美

 何でも電子化の時代に暦が日めくりであることが郷愁をそそる。枚数の少なくなった古暦なのだろう「ぴりと剝がす」行為にそれまでの季節との訣別の意思が感じられる。夏の異常な暑さと長さからの訣別なのだろうか。