「耕人集」 5月号 感想  沖山志朴


思ひ事捨つるがごとく手套脱ぐ池尾節子

 心の中にわだかまりがあったのであろう。道々考えるものの、決断がつかぬまま自宅に辿り着いた。玄関 に入ってからも、まだわだかまりは残っている。しかし、もうこの問題はこれでよいと心の中で整理をつけ、その決断と同時に手袋を脱いで捨てるように置いた。
 決断の一瞬を「捨つるがごとく手套脱ぐ」という行動に象徴させたところに妙味がある。心中の葛藤とその踏ん切りを巧みに詠っている。

入れ替はる小鳥の影や春障子山田えつ子

 庭に小鳥の餌台か花の咲く木でもあるのであろう。目白、鵯、四十雀などの小鳥が入れ代わり立ち代わりやってくる。それらの小鳥がやってくる度に、動き回る影が障子に映る。作者はその影を見ながら目白が来た、鵯が来たとその愛らしい影の動きを楽しんでいる。
 万物の躍動する春、作者の心もその影を見つつ浮き浮きしてくる。主たる季語は春障子。

黒川能役者屋号で呼ばれをり成澤礼子

 棚山主宰の「酒五石豆腐万丁黒川能」でも知られる黒川能。鶴岡市の黒川地区に伝わる国の重要無形民俗文化財である。五百年来多くの農民が中心となってこの文化を支えてきた。大地の豊かな恵みと平穏を願う農民の切実な祈りの演技が心を打ち、毎年県外からも多くの人が詰めかける。
 近世の村々には同じ苗字の家が多かったこともあって、日常は屋号で呼びあう習慣が受け継がれてきた。演ずる人も裏方も、また接待をする人も地区の人たち。ここでも、お互いに屋号で呼びあう習慣が受け継がれているのであろう。なお昨年の四月号にも「黒川能漆舞台に焰映ゆ」の佳句があり、本欄でも取り上げている。同じ市内にお住まいの作者、細かい観察が光る。

さより舟潮目を読みて渉りけり井川勉

 さよりは春の季語。細魚、針魚などと書く細長い四十センチほどの背側の青緑色の魚。餌をまくと水面に浮いてくるので、それを掬い取る漁法もあるが、掲句では、船外機のような小舟二艘で網を仕掛けて取る漁法か。
 潮の流れ、魚の習性、風向きなどを考慮して群れの動きをいち早く察知して舟を動かし、網を仕掛けるのであろう。漁の知識のある作者ならではの観察眼が生かされた緊張感のある句である。

行くほどによき所あり蓬摘み飯田千代子

 春先の蓬は餅に入れても、天ぷらにしても香りがよくおいしい。作者は蓬を見つけて摘み始める。すると、その先により多くの蓬が生えている場所を見つけ、また夢中になり摘み始める。ふと気づくとその先にもさらにと切りがなくなったのであろう。
 茹でて保存しておこう、お隣にも分けてあげようと次々に作者の欲望も膨らんでゆく。女性ならではの蓬に対する心理や行動が象徴的に表現された句である。

群生の座禅草より水の音野尻千絵

 「より」の一語がよく効いている。この一語により、水は作者には見えていないことがわかる。しかし、水の流れる音は静かに聞こえてくるのである。それほど座禅草が密に生えていることがわかる。
 とかく感動を素直に伝えようとすると、句は説明的になってしまいがちである。しかし、掲句は言葉を吟味・抑制し、よりよく配列することにより、詩的な情感をたっぷりと内蔵させている。特に初心の人にとっては学ぶところの多い句である。

春時雨急がぬ人と急ぐ人斉藤房子

 春先の木の芽の吹きだすころに急に降ってきた雨。春の雨は静かにそして細かく降ることが多い。これくらいの雨ならば、と濡れつつ平然と行く人もいれば、濡れるのが嫌で駆け足で急ぐ人もいる。作者はそれを冷静に見ている。対句表現の「急がぬ人と急ぐ人」が掲句の眼目である。
 表現技法にこだわるのは禁物であろうが、時として技法が句の印象を鮮明にしたり、躍動感のあるものにしたりする。作者もそれを心得ていて、掲句においてはそれが功を奏している。

振り向けば簪かとも花きぶし藤沼真由美

 ぱっと見ての木五倍子の花の見立ては、暖簾などいろいろあろうが、簪とはこれまた風流であることよ。たしかに色合い、揺れ具合、小花の並び方など考えると特徴をよく捉えた合点のゆく表現である。
 俳句や自然に関心の薄い人は、何に見立ててもあまり興味はないであろう。しかし、俳人はこのような細かなことにこだわり、俳句のよしあしにまで言及する。これは、一見無駄なことのようにも思えるが、このように自然をよく観察し、自分の言葉で表してゆこうとすることが、心豊かに生きてゆくことにつながるのではないか。
好物を一つ買ひ足す春の風邪汲田酔竜

 今年は春になってからも風邪が流行った。作者も冬の間は用心していたのであろうが、図らずも春になってから罹患してしまった。長引く風邪に心まで落ち込んでしまいがち。そんな作者が好きな食べ物を奮発して一つ買い足し、自らを励ましたというのである。
 「一つ買ひ足す」に、平素の質素で堅実な生活ぶりが窺える。病の代りに立派な句が誕生したのであるから、多少なりとも留飲も下がったであろうか。

残り雪畑へ行き来の獣跡保坂公一

 畑の残雪の下には、収穫前の野菜が植わっているのであろう。山からその畑へ行き来する獣道には、その足跡が、はっきりと残っているというのである。鹿であろうか、猪であろうか、あるいは狸などか。
 地域の人たちにとっては厄介者の動物たちなのであろうが、作者はそのような獣たちを恨む言葉は一切使わずに冷静に、客観的に表現している。山の動物たちも厳しい冬を生きるために必死なのである。掲句の根底にはそのような動物たちをも含めて、命あるものをいとおしむ気持ちが窺える。

春めくや水面に映る山の揺れ古屋美智子

 気温も上がり、ようやく春らしい気候となってきた。池の氷も溶け、山容をその全面に映している。とはいえまだ春先の厳しい風が吹いてきては、水面の山影を大きく揺らしているというのである。
 冬の寒さの厳しい地方の人たちにとっては、春の到来はこの上なき喜び。作者は、揺れ動く水面の山影すらも躍動する春の兆しとして捉え、ひそかな喜びを味わっているのである。感情を抑え、丹念に自然の移り変わりを描写しながら心情を表現している。

鳥帰る依網輝く最上川池田春人

 依網(よさみ)とは「川波と海波の相寄せる所」(三省堂大辞林)とある。おそらく、潮位や川の水量によってその場所は移動するのであろう。川と海の水の勢いが衝突して小波が強く起こり、光線の具合によっては、その場所は一段と輝きを増す。
 水量の増した春先の最上川の河口。寄せ来る沖波と川の水が激しくぶつかる。一段と小波が強く立ったその場所が日差しを受けてキラキラと輝いている。その上空を鳥の群れが形を変えながら北へ北へと渡ってゆく。躍動感・立体感のあるスケールの大きな句に仕上がった。