「耕人集」 7月号 感想 沖山志朴
日に映えて芽吹きあやなす雑木山 八木岡博江
光、色彩、模様と一句の中に三つもの視覚の語が用いられている感覚の句である。そして、これらの感覚の語が、まさに綾をなしながら、春先の自然の息吹や華やぎを詠いあげている。
雑木山だからこそ、春先の色彩も豊かになり、一句に華やぎが生まれてくる。まるで、計算したかのように「あやなす」の一語を据え、効果を上げている。
咲き満ちて寂しさ募る桜かな菊地惠子
待ちに待った桜が満開となった。一年でいちばんよい季節の到来である。しかし、その喜びとは裏腹に、心の隙間から入り込んできた憂愁が、いつしか作者の心に巣くう。
春愁であろう。特別な理由がある愁いではない。花が咲き鳥の囀る季節ではあるが、ふとしたことで心が曇る。満開の桜と対比させながら、繊細で微妙な人の心の変化、忍び込んでくる春先の憂愁を表現している。
小綬鶏の声へたばるなへたばるな角野京子
リフレインの効いた個性あふれる叙情句である。へたばるなとは、自らが自らへ向かって発している励ましの言葉に他ならない。
人は健康のこと、ささいな人間関係のトラブルなどから心が沈むことがある。今、作者もそのような状況にあるのであろう。そんなとき身近に聞こえてきた小綬鶏の元気のよい鳴き声。作者にとっては、「ちょっと来い、ちょっと来い」ではなく、「元気を出せ、元気を出せ」と励ましの声に聞こえたのである。次第に元気を回復する作者の心のつぶやきが聞こえてくるようである。
お通りの声の先触れ蓮如輿畑宵村
蓮如輿は、京都の東本願寺から蓮如上人の布教の聖地である福井の吉崎別院まで蓮如上人の「御影」を運び、そこで法要を行なったのち、今度は東本願寺に戻る道中のことをいう。
「蓮如上人さまのお通り」という声とともに、信徒の人たちが輿を載せたリヤカーを引いてゆく。蓮如上人への信仰がいまだに篤い土地柄であるだけに、人々は特別な気持ちで輿を迎える。作者も特別な感慨をもってお迎えする。地域の人々の篤い信仰心に支えられている句である。
夏座敷小さく母がゐるやうな中谷緒和子
省略の効いた母恋の叙情句である。開け放された広い夏座敷。風がよく通る。そこにまだ母が生きていて、ちょこんと座っているような気がするという。
人はいくつになっても、親のことが忘れられない。とりわけ母親は懐かしい。それをさらりと表現しているのが掲句の妙味。「小さく」の一語を据えることにより、単なる感傷の句からの脱却を図っている。
合祭殿より新緑の鏡池池田春人
合祭殿は、羽黒山頂の中心に建つ三神合祭殿のこと。羽黒山、月山、湯殿山の三神をあわせて祀る国の重要文化財。その建物の前にあるのが鏡池。鏡池からは、信仰のため池に納められた鏡が多数掘り出された。神霊が宿る池であり、池のほとりには先師皆川盤水先生の句碑も建てられている。
作者は、一段高い合祭殿に立ち、池を眺めている。水面に映えるその新緑の美しさに思わず目を見張る。鏡という池の名称と、眼前の水面に映る新緑の景の美しさとが作者の意識の中で掛けられている。
千尋の谷借景に飛花落花上野直江
なんとも壮大な落花の景である。作者が立っているのは、深い谷の上であろう。風が吹くたびに折から散り始めた桜が一斉に舞い上がる。やがて、それはきらきらと舞いながら谷底へと沈んでゆく光景。名残の桜に人々の歓声が聞こえてくるようである。
くどくど説明せず、言葉を選び、また言葉を大胆に省略することで、自然の織りなす美しさを見事に表現している。
花冷えの藪に隠るる群れ雀菱山郁朗
「雀合戦」という言葉がある。冬の終わりから春先などに、多くの雀が木や藪に集まって、争ったり、鳴き騒いだりする様子を言う。春先は特に、番を組むための繁殖行動の一つとも考えられる。掲句の作者が目にしたのもそのような光景なのかもしれない。
「今日は寒いねえ」などといいながら、花見に浮かれる人間とは別に、身近な小鳥にも別の世界があって、藪の中で群れ騒ぎながら盛んに活動している。作者の意識は、こんな藪の中で何をしているのだろうと一瞬そちらに向きながらも道を急ぐ。季語が生きている。
賑やかな声の聞こゆる菖蒲の湯小田切祥子
端午の節句の夜の道で、たまたま、よその家の風呂場から聞こえてきた子供たちのふざけあう賑やかな声であると想像する。
作者は、ふと遠い日の記憶を甦らせる。家族を思い、懐かしさを覚えているのかもしれない。あるいは、このようなささやかなことが平和というものなのだと、しみじみとそのありがたさに浸っているのかもしれない。
校庭は桜吹雪の静寂かな濱中和敏
今年の桜の花もそろそろ終わりを迎えた。折からの風に、校庭の桜が舞い上がっては、きらきら光りながら舞い降りる。春休み中なのか、子供たちの姿は見当たらず、広い校庭も静まり返っている。長閑な景である。
桜吹雪の視覚の動と、音がしないという聴覚の静とを対照させながら、明るく広がりのある春先の景色をおおらかな口調で詠っている。
じじばばを腹這ひのぞく雑木山小林美穂
「じじばば」は春蘭の傍題。花は、淡い黄緑色のため、あまり目立たないが、香りがあり、昔から清楚な花が人々に愛でられてきた。塩漬けにした花は、「蘭湯」と称して祝いの席で用いられたともいう。
俳人仲間での吟行の折の属目吟であろうか。短い草丈を腹ばうようにして代わる代わる眺めたのであろう。 なるほど、これがあのじじばばかと感心する声が聞こえてくるようである。中七が効いている。
若あゆのかたまり解かぬ溯上かな芦沢修二
天然の鮎は、体長六センチ程度になると鱗が全身に形成され、群れで海から川に入り、溯上を始める。近年、多摩川などにおいても水質が浄化され、かなりの数の天然の鮎が溯上するようになった。
正岡子規に有名な「若鮎の二手になりて上りけり」という句がある。おそらく洲でもあって、群れが一旦別れた瞬間を捉えた句であろう。掲句は「かたまり解かぬ」と逆の表現であるが、ともに表現しているところは一緒である。若鮎の勢いを感じさせる句である。
お岩木や十万石の青田風太田直樹
日本百名山にもなっている岩木山は、津軽富士とも、お岩木、お岩木様とも呼ばれ多くの人に愛され、畏敬されつづけている山である。その裾に広がる津軽平野の青田風を詠った雄大な句である。津軽藩は、はじめは四万五千石程度であったが、次第に増え、十九世紀初めには十万石余になったといわれる。
同じ号に「さなぶりや津軽平野に津軽富士」の句もある。いずれにも津軽の人々の誇りが漲っている。
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