「耕人集」 8月号 感想  沖山志朴

十薬や滑車錆びゐる催合井戸?村征子

 催合(もやい)井戸は、地域の人たちが協力して掘り、共同で使用した井戸のこと。かつては地域の人たちの生活に欠かすことのできなかった大切な井戸である。しかし、上水道の普及が進むにつれ、使われることもなくなり今では滑車も錆びついている状態なのである。
 昔の人々の苦労をしみじみと思いやるとともに、時代が変わったことを実感している作者。傍らの、純白の十薬の花と錆びついた滑車とを対照的に配することで、滑車の印象をより鮮明にしている。歴史的な遺産を丹念に句の素材とした。

海風や花菜明かりの最上川齋藤眞人

 最上川の下流域であろう。堤に一面咲きそろった菜の花。今まさに一面黄金色に輝くばかりである。そこへ時折、日本海からの強い風が吹き込んでくる。すると一斉に波打つように花菜が揺れだし、一層の輝きを放つ。
 素材的には、新しさはないが、最上川の雄大さ、日本海からの春先の強い風、最上川のもつ文学的な背景などを考え合せながら味わうと、掲句はまた一味違った趣の句となる。

鳴く声の中に一声ほととぎす赤嶺永太

 たくさんの鳥が鳴き声を競う中に、一声、時鳥の鳴き声が高く聞こえた。また続けて聞かれるかなと期待して耳を澄ませて待つ作者。しかし、鳴き声はその一声のみで終わった。どうしたのかなと残念がる作者。言外に、作者の時鳥への特別な思いが伝わってくる。
 作者は、沖縄にお住まいの方。沖縄でも、季節になると時鳥の声はよく聞かれるようである。しかし、その多くは、本土への渡りの途中の時鳥の鳴き声のようであるので、感慨も一入なのであろう。ほかにも、「迅雷や海に火柱突きささり」「息の合ふ櫂のさばきや爬龍船」など、沖縄の方ならではの佳句が目立った。

一山の色ひるがへる青嵐安奈朝

 中七の「色ひるがへる」に作者の工夫の跡がうかがえる。強い風に煽られると葉が裏返る。すると一転して葉裏の白が山肌を覆う。それを一山の視点で捉えたことでスケールの大きな句になった。
 単なる報告句に終わるか、それとも作者なりの見方や表現の工夫がなされた句になるかは、作句の心構えが大きくかかわってくる。芭蕉の有名な言葉に「舌頭に千転せよ」というのがある。芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蟬の声」の名句を得るまでには、何度も推敲を繰り返している。やはり納得いくまで推敲しようとする飽くなき姿勢が大切であると感じる。

湯立して春のまたぎの熊まつり小林美穂

 東北地方の一部にはまだ狩猟をして生活する人々がいる。山形県の観光協会の資料では、飯豊連峰の麓にある山形県の小玉川地区でも、「熊まつり」の儀式が、300年余にわたって受け継がれているとのこと。射止めた熊の冥福を祈りながら、猟の収穫を山の神に感謝するのである。「湯立」は、その儀式の一部。「熊まつり」は、新年、冬の季語であるが、掲句は春の熊まつり。
 山形県には、昔ながらの伝統的な文化や生活習慣がこのほかにも多く残っている。春耕誌においても、それらを素材にした句が時折発表されるが、どれも味わい深い。掲句も興味深く味わった。他の地域においても、ぜひこれからも風土性を生かした句を積極的に作り、全国に発信されることを願っている。

川挟み二羽の掛け合ひ行々子鈴木博子

 その騒がしい鳴き声から「行々子」と名付けられた渡り鳥。一夫多妻でも、また、郭公の托卵の対象としても知られている。湿地帯の芦原などに多く生息している。
 掛け合いには、兵力が正面からぶつかるという意味と、代わる代わる演ずるという意味があるが、掲句においては、後者の代わる代わる演ずるの意味と解する。行々子にとっては、まさに必死の縄張り争いなのであるから、前者の兵力が正面からぶつかる、という意味合いが強いが、筆者は交代しながら歌っている、と俳人の感覚で捉えたところが面白い。「川挟み」がよい。

綿菅や目で木道を譲り合ふ布施協一

 高原の湿地帯。綿菅の美しい季節を迎えて木道も込み合っている。十分整備されていない木道なのであろうか。一部が朽ちていたりすると、お互いに譲り合うしかない。
 目で譲り合うというのが掲句の眼目である。悠長なことはしていられない。目は口ほどにものを言う、というが、見知らぬ人同士でも瞬時に相手の心が読み取れるのである。それぞれその場の状況に応じて判断し、先を急ぐ。

花の名も粋を競ふや菖蒲園金子理恵子

 菖蒲には、「天女の冠」、「清少納言」、「天の羽衣」など、垢抜けした名前が付けられたものが多い。もちろん花そのものも美しいのであるが、株ごとの名前を見て歩くのも一興。作者は、まるで菖蒲園全体で粋な名前を競い合っているようだという。
 菖蒲の花の美しさを詠おうとすると、すでに詠い尽くされているきらいもある。少し角度を変えてこのように詠んでみると、吟行もまた一段と楽しみが増えるのではないだろうか。

朱鷺の舞ふ村にあまたの鯉のぼり荻野輝雄

 かつては絶滅の危機に瀕していた朱鷺も、関係者の努力の甲斐あって、嬉しいことに今では徐々に数も増え、棲息域も広がっている。わが春耕においても、特別企画もあって、ここ数年すばらしい朱鷺の数々の句が披露されている。掲句も佐渡での嘱目であろう。
 周知のように近年、日本においては、地方の人口の減少が大きな社会問題となっている。とりわけ若い世代の流出は深刻な問題である。掲句の村においては、たくさんの鯉幟が見られるという。おそらく村の取り組みが功を奏して、人口の流出が食い止められているのであろう。二重にめでたい句である。

遠雷や脳裏に浮かぶ人のゐて稲川征男

 遠くの雷鳴を聞いた瞬間に人の顔が浮かんだという。それがどんな人なのかということについては、作者は何も触れていない。昔の恋人であろうか、亡くなった親友であろうか、と読者はいろいろに想像するが、「人のゐて」だけではわからない。
 仮にこれを「遠雷や脳裏に浮かぶ友のゐて」と一字変えてみたらどうであろうか。やはり平凡な報告句に終わってしまう。発想が斬新で、ユニークな句である。このような大胆な発想が、時には思わぬ効果を生む。

氷水に尾を突き出して初鰹坂口富康

 魚市場での光景である。ベルトコンベアなどで船から水揚げされた鰹は、すぐに糶にかけられる。傷みやすい魚なので鮮度が命となるだけに、すぐに氷水に漬けられる。掲句は頭から何本もの鰹が桶に漬けられている様子を捉えたものである。
 初鰹は、高値で取引される。「突き出して」には、鰹が大切に取り扱われている様子もうかがえる。筆者も釣りが好きで、かつて何度も鰹釣りに出かけたことがあるが、個人的にも懐かしさを覚える句である。