俳句時事(170)
              作句の現場「山葵の花」 棚山波朗
山葵の花は夏の季語だが、実際に咲き出すのは3月の終り頃からである。春の寒さの残る山裾や渓流に開いた四弁の花は、いかにも清々しい。
山葵の学名は、Wasabia・Japonicaという日本名を持つ日本独特のspiceである。この野生の山葵は古くから海外でも上流社会の人に香辛料として珍重されて来たようだ。
山葵の生産地として知られるのが長野県・静岡県・島根県などだが、このうち長野県が最も多く、全国の半分以上を占めている。中でも多いのが安曇野の中心地・穂高である。総面積は約70ヘクタールで、高瀬川・梓川・万水川などアルプスから流れ出るいくつもの川が運んで来た砂礫で成り立つ扇状地に山葵田が作られている。
日本一広いといわれる大王山葵農場は、面積15ヘクタールで、後楽園球場の5、6倍もあるというから驚く。
食堂やみやげ物売り場を通って裏手に廻ると、すぐ山葵田が広がっている。水路が幾筋も作られ、見事な幾何学模様を見せる。畝は水路の曲線に沿って、向きを変えながら平行線の列に作られている。清冽な水は人の歩くほどの速さで、下方へと流れている。
山葵田で働いている人に聞いてみた。その人によると、
「山葵にとって最も大切なのは水です。ここでは年間を通して13度から14、5度の湧水が流れています。全国名水百選に選ばれたほどの良い水なんです。」とのことだった。
山葵田に実際に降りて手を浸してみたが、それほど冷たくはなかった。さらさらとしてどことなくまろやかな感触であった。
大王畑はここでも最も広い山葵畑である。中央が大きく膨らみ、水路が6本流れている。アカシヤやポプラに囲まれ、ゆったりとした曲線を描いている。
中央に橋が架かり、更に奥へと進むことが出来る。そこでは5、6人の人が作業をしていた。カツサビ(洗い鍬)という道具を使い、田の砂利を深く掘り起こしていた。砂利の間に挟まった雑草などの塵を取り払い、洗っても落ちない古いものは新しい砂利と交換するのだという。
山葵を育てる作業はいくつもの役割分担がされているが、どれもかなりの重労働のようだ。畝立て、植込み、アオミドロ掃き、寒冷紗かけ、消毒などが主で、一年を通して手間がかかるそうだ。
北畑と道を挟んで向き合っているのが古畑で、ここでは数人の女性が山葵の花を摘んでいた。茎の根本を指で曲げるようにして折り、20本ほどを束にして輪ゴムで括っていた。摘まれた山葵の花は一旦畝に集められ、そこから一輪車で運び出される。
どこからともなく白蝶が飛んで来て、山葵の花に纏わりついていた。