子規の四季 67  子規庵の春

池内けい吾

春浅き庵は病牀の有様、燈爐に湯をたぎらせ火鉢に炭を山の如くつぎかけて猶冬ごもりに異ならず。寒暖計を枕もと低く掛けて晝も夜もこゝろみれど猶六十度を越え がてなり。

春寒き寒暖計や水仙花

上は子規の随筆「春浅き庵」の冒頭の1節。明治33年(1900)の春、子規は執筆、選句など手一杯の仕事を抱えながら、夜ごとの発熱に悩まされる日が続いていた。前年の暮れに虚子が病室の障子をガラス戸に取り替えてくれたお陰で、ガラス戸越しに庭を眺めることができるのが、子規にとって何よりの慰めであった。「春浅き庵」は、こう続く。

去年の暮病室の南側をガラス障子にせしより何かにつけて嬉しき事ぞ多き。いつかはガラス越に雪も見んなど出来ぬ贅澤とばかり思ひしに今まのあたり此樂を得て命 ものぶ心地なり。我は火鉢をかゝえながら松の枝の寒さうに動くを見るもこよなく心行くさまなるに雀の二三羽来て松に隠れ地に下りいそがしく物あさるも面白し。
折々めづらしき鳥も来るに鶯を待ちこがれて
鶯の来もせで松の雀かな
今ガラス戸の外に假に置ける鐵網張りの大鳥籠あり。丈一間半ばかり、形圓くして直徑一間たらず。何がしの内にありたるを人の借りて来しなり。とまり木の代りに 生木を植ゑて小鳥を多く入れんかともくろみつゝあり。
鳥籠に木を植ゑて見ん春の庭

この大鳥籠は、子規に中村不折を紹介したことで知られる洋画家の浅井黙語が、知人から借り受けて届けてくれたものらしい。子規は前年春からカナリヤを飼っていた、野良猫が鳥籠をくつがえしたため2羽とも逃げてしまった。鶸や鶉の籠もその猫に狙われっぱなしで、防ぎようがない。そこで猫の歯が立たない頑丈な鳥籠を備えて、多くの小鳥を飼いたいと願っていたのである。
随筆「春浅き庵」は、さらにこう続く。

大鳥籠の横に小松菜一畝つくりたるが三寸程に伸びたり。こは鶸の餌なり。
一畝は菜をつくりけり春の園
去年病牀に煩悶せる時把栗鼠骨が携へ来りて我眼を驚かしたる牡丹は散りての後肥しもやらでありしが此春赤き芽をふくにつけて俄に思ひつきたらんやうに霜掩ひをぞしたる。ビールの瓶を包みたる藁づとを其儘にかぶせたるなりとぞ。よくはまりたるがをかし。
藁すぼや霜を恐るゝ牡丹の芽
萩も芒も梅の若木もまだ芽ぐまず。瀟々とふる春の雨も猶冴えかへる日多かり。
芽もふかぬ小庭淋しや下駄の跡
ガラス戸の向ふに当り裏木戸ありてこゝより往来する人も少からず。つれづれの人待ちかぬる折からこゝをあくる郵便脚夫に驚かされて望を失ひながら故郷の新聞を 受け取りて知りたる人の名前を見つけ出すせめてもの嬉しさ。牛乳に珈琲入れて今日もはや三時過なり。
春雨や裏戸入り来る傘は誰
四月四日(水)、小鳥の餌にと植えておいた小松菜の花が咲いた。
飼鳥の小鳥の餌にと植ゑおきし庭の小松菜花咲きにけり

4月10日(火)、雑誌「俳星」に随筆「春浅き庵」が掲載された。この日は終日雨だった。

ガラス戸の外面さびしくふる雨に隣の桜ぬれはえて見ゆ
4月13日(金)、2日前に出獄した寒川鼠骨が来訪。鼠骨は「日本」紙上で、ときの総理大臣山県有朋を厳しく批判した記事の署名人として官吏侮辱罪に問われ、巣鴨監獄に15日間収監されていたのである。
短期間とはいえ監獄暮らしをした鼠骨は、かなり痩せたおももちで収監生活を語った。たぼ挿み磨きという労働のつらさもさりながら、食事のひどさには参った。同時に釈放された泥棒と獄の門を出たところで別れると、あたりがすっかり春めいて草木が緑したたる色に染まっているのを、しばらく呆然と眺めていたという。

いたはしさ花見ぬ人の痩せやうや
子規は鼠骨の出獄祝を、と思い立ち、碧梧桐にはがき歌で連絡をした。
飄亭と鼠骨と虚子と君と我と鄙鮨くはん十四日夕
翌14日、筍鮨で鼠骨の出獄を祝う宴が、子規庵で開かれた。
くろかねの人屋をいでし君のために筍鮨をつけてうたげす
4月15日(日)には、第1回万葉集輪講会が開かれた。会する者は、子規のほかに香取秀真、伊藤左千夫、新免一五坊、桃沢茂春、和田不可得、赤木格堂、山田三子である。輪講のあと、子規は鼠骨の獄中談を出席者に伝え、それを歌材に歌を詠み合った。
互選の結果、最高の5点を得たのは秀真の歌である。

許されて人屋立ちいづるあさあけの衣の裾に春の風吹く秀真
罪人を押し込めておく牢屋を「人屋」という古語が、まだ生きていたようだ。三点の歌は、次の子規の作など八首。
かげろひのはかなき命ながらへ北蝦て人屋を出でし君痩せにけり竹の里人
世の中にちひさき罪を犯したる下駄ぬす人をあはれと思ひき 左千夫
2点の歌10首の中にはこんな作がある。

北蝦夷の豆のダルマに舌打ちてよろこび居ると聞けば悲しも格堂
獄中の隠語では鹿尾菜をヤミといい、北海道の豆をダルマという。ヤミは最低の惣菜、ダルマは獄中第1等の菜だったと、鼠骨は語っていた。子規が天位に選んだのは、次の1首であった。
うつし世の人屋を出でゝ巣鴨行けば桜花咲けり天国の如し一五坊
子規がこれらの歌をまじえて綴った「入獄談を聴く」は、この年5月の「日本付録週報」に掲載されることになる。
4月20日(金)、くだんの大鳥籠が本格的に子規庵の庭に据えつけられた。
かな網の大鳥籠をつくろひて小鳥を入れん明日の朝待たる
かな網の鳥籠広みうれしげに飛ぶ鳥見れば我もたぬしむ

高尾菫

高尾菫