「耕人集」 8月号 感想  沖山志朴

結ひの衆総出の田植はかどれり成澤礼子

 地方には、多大な費用と労力が必要な作業を、集落の人たちで助け合うという相互扶助の制度が昔からあった。それが「結い」である。屋根普請や田植はその典型としてあげられる。
 しかし、住宅の構造が変わり、機械化が進み、過疎化が進んだ今日、その制度の存続が困難になってきている地方も少なくない。掲句は田植であるが、おそらく田植機の入らない棚田のような場所なのであろう。また、人々の協力体制も整っている地域なのであろう。厳しい環境の中で生きる人々にとっては、このような相互扶助の制度はなんとも心強い。 

まほろばの風に艶増すさくらんぼ船山励三

 「まほろば」は、素晴らしい場所の意。美しい日本の国土やそこに生活する人々を讃えた古語。掲句においては、人界を遠く離れた美しい場所、くらいの意味であろう。
 器に盛られたさくらんぼではなく、栽培過程のさくらんぼ。丹精込めて大事に育てられているさくらんぼは、まほろばからの風を受け、ますますこの世のものとは思えないほどの色艶を増しつつある、と讃えている。大胆な上五が生きている。

廃屋の柱の傷や子供の日有澤志峯

 子供の日に、たまたま見付けた廃屋の柱の古い傷。そのはつかに残る傷から作者の想像は様々に広がる。きっと何人かの子供たちがいて、賑やかな家だったのあろう。子供たちは今では他の地でそれぞれ立派な家庭を築いているに違いない等々、それからそれへと思いを巡らせたであろう。
 世代が変わること、社会が変わること、そして、世の中が移り変わることの象徴として柱の傷を見つめていた作者の姿が髣髴とする。

我が家の燕となりて巣立ち行く古屋美智子

 かつては、燕が巣作りすると火事にならないといわれ、巣作りが歓迎された地域も少なくない。しかし、近年は、鉄筋化だけでなく衛生上の問題もあってか、燕の営巣を嫌う家庭や店舗が多くなってきている。まさに、燕にとっては受難の時代である。掲句の燕たちのなんと幸せなことかと思わずにはいられない。
 雛が無事に成長すると、親燕が子燕たちに巣立ちをしきりに促す。しばらくは、巣の周辺にいた子燕は、やがて、巣から完全に離れていく。それを見送ったのであろう。「我が家の燕」の語に心が温まる。 

夏落葉掃くに手応へありにけり斉藤房子

 季語「夏落葉」の本意がうまく生かされた句である。夏落葉は、冬季の枯れた落葉とは違って、十分な質感がある。その質感が象徴的に表現されているのが、中七の「手応へ」なのである。
 平明で分かりやすい一物仕立ての句である。感心するのは、言葉同士が互いに響き合って、まさに言葉のチームワークよろしく、相乗効果を発揮しあっていることである。

老鶯やかはたれ時の山の宿森安子

 筆者の住まいの近くの雑木林でも、ずいぶん遅くまで、鶯が声高に鳴いている。興味をもって記録を取ってみると、日照時間が長い6月は、夕方7時ころまで張りのある声が聞こえてくる。
 掲句においても薄暮が迫る時間帯まで鶯は鳴き続けていたのであろう。静かな山宿、情趣のある鶯の鳴き声。それを露天湯で静かに聞いていたとなればこの上もない喜び。内面から自然に言葉が生まれ、湧いて出た一句なのであろう。

しなやかに指の踊れる祭笛鍋島こと

 中七の「指の踊れる」の擬人法の使用が洗練されている。この措辞により、あたかも指の一本一本の動きが、人の動きのように鮮明に浮き上がってくる。
 作者の視点は山車の上で祭笛を吹く人の指にじっと向けられている。この間、祭の喧噪も、ひしめき合う人々の熱気も、すべて作者の意識の中から滅却されている。この焦点化が、読者の関心を見事に引き寄せる効果をあげている。

香煙は摩文仁の空へ沖縄忌屋良幸助

 沖縄忌は、6月23日。第二次世界大戦時、日本陸軍の司令部がこの摩文仁の丘の洞穴壕に置かれていた。そして昭和20年6月23日、沖縄戦は凄絶な戦闘で終焉。今では、平和祈念公園として一帯が沖縄戦跡国定公園に指定されている。
 今日でも犠牲者の霊を弔うとともに、平和を願う多くの人々の参拝が続く。中七の「空へ」は作者だけではなく、多くの人々の平和への強い願いが込められた重い一語なのである。