「耕人集」 9月号 感想  沖山志朴

物売りの声の間遠や昼寝覚平照子

 誰もが一度は経験したことがあるであろう、昼寝から覚めたばかりの、まだ朦朧としている状態を詠った句である。
 物売りの声で目覚めた。「声の間遠」とあるが、これは、意識が朦朧としている状態を表現するための逆説的な表現である。実際には、「間近な声」なのである。逆の措辞をあえて用いることにより、報告や説明の句にならないように表現を凝らした作者。余情のある句にまとまった。 

雨脚が先へ先へと青田行く雨森廣光

 風を伴って急に雨が降り出した。作者は、一面の田んぼの中の畔道を急ぐ。そんなときに目に留まった眼前の景色である。
 「先へ先へ」は、降り始めた雨の先端が、折からの風にあおられて、青田の表面を斜めに移動してゆく様子である。さえぎる物がないだけに、作者には、その移動の様子がよく見える。天候の変化する一瞬の様相を的確に十七音にまとめ上げている。

昆布船ゆさりゆさりと戻りけり鳥羽サチイ

 素材的には、決して珍しい句ではないが、「ゆさりゆさり」というオノマトペが一句の中で息づいている。これにより重厚感が出た。
 小型の船の甲板いっぱいに、艶やかな長い昆布が積まれて戻ってきた光景である。作者のお住まいの地域においては、よく目にする光景なのであろう。リアリティーのある嘱目吟にまとめらている。

飲み干して手離しがたきラムネ瓶榎本洋美

 昔懐かしいラムネ。サイダーに比べ、こちらは庶民的であり、飲むときのガラス玉の音が、清涼感とともになんともいえぬ郷愁を誘う。幼いころ夜祭などで、のどを潤した記憶がある人も少なくないであろう。
 中七の「手離しがたき」に作者の情感が込められている。ふと、幼い日の記憶やこれまでの半生が蘇ってきて、しばし感慨にふけりながら、ガラス玉を鳴らしているのであろう。体験的によく分かる句である。 

竹林の風に溶け込む黒揚羽金子正治

 筆者の所属する橋本句会のメンバーで、世田谷区の次太夫堀公園を吟行した折の嘱目吟である。都心からほど近い距離にありながら、古民家や鍛冶屋、養蚕の作業工程などが見られる他、自然環境にも恵まれた場所である。
 折から飛んできた黒揚羽が、風に飛ばされて、竹林の中へ紛れ込んでいった一瞬の光景を捉えている。写生句でありながら、主情の強く出た中七の「風に溶け込む」の表現が巧みである。黒揚羽の妖しさまでもが伝わってくるような、不思議な魅力が内包された句である。

幾世紀積みし石垣葡萄園原精一

 同じ号に「登り来て車窓に迫る大氷河」という句もある。想像するにヨーロッパを旅行した折の嘱目吟なのであろう。
 ヨーロッパでは古くから自家用にワインを造ってきた歴史がある。「登り来て」「大氷河」の語から推測するに、標高の高い場所にある葡萄畑なのであろう。傾斜がかなりあるために、石垣を組んでは手入れを繰り返し、傾斜を緩やかにして幾世紀もの間に亘って栽培を続けてきたのであろう。人とワインとの歴史を象徴的に捉えた句である。

宇宙へのシグナルのごと烏賊釣火中村岷子

 烏賊釣火は、夏の季語となっている。烏賊は一年中釣れるが、特に夏は釣火に清涼感が感じられて印象的であるということから、夏の季語となっているようである。
 「宇宙へのシグナル」という比喩がユニークである。遠くに一列に並んだように見える釣火は、波の加減によって、点滅を繰り返しているように見える。作者は、その様子をシグナルと見立てている。旅先での属目吟であろうが、既成概念にとらわれず新鮮な感覚で烏賊釣火を捉えているのがよい。

殉教の名の無き民や草茂る藤原弘

 江戸幕府の禁教令により、厳しいキリスト教徒への弾圧が始まった。そして、多くの名もなきキリスト教徒たちの尊い命が奪われていった。
 今もって、九州の離島などでは、多くの秘話が語り継がれている。筆者も以前、訪れた長崎県のある島で、何百人もの人たちが処刑され、今でも工事の折などに多くの遺骸が出てくる、という話を聞いたことがある。掲句もそのような、かつての処刑場の草原に立っての感懐の句であろう。中七の「名の無き民や」に心に沁みるものがある。