「晴耕集・雨読集」 12月号 感想      柚口満   

病む妻に吊る五年目の秋簾蟇目良雨 

 「春耕」誌の編集長という多忙な職責にありながら奥様の介護を続けているこの句の作者、特に手が掛かりだしてからもう5年目に入ったのかと、この句を読んで改めてそのご苦労に思いを馳せた。 
 吊す年季の入った秋の簾にその感を強くするが、とにかく良雨さんは人生に対し前向きで明るい人で、感動することしきりである。自分に置き換えてみるにここまでは出来る自信はない。秋簾という季語をさりげなく配し淡々と詠み流すことが、いかに説得力があるかということが実感できる一句である。 

水軍の潮路ゆたかに秋夕焼武田花果 

 この句を読んで思い出す景色がある。22年前、先師の皆川盤水氏、現主宰の棚山波朗氏ら有志6、7人がこの句の花果さんの瀬戸内・大三島の生家にお世生家にお世話になったことがある。季節は初夏で蜜柑の花が噎せるように島を包み、島が点在する瀬戸内の海はあくまで青かった。
 掲出句はその場所で作られた最近の一句。瀬戸内海の交易や安全を支配した水軍が活躍した夕方の潮路は渦巻く急流も納まり今は秋の夕焼けの凪に煌めいていた。数々の歴史を秘めた瀬戸内海の秋の夕暮れである。

仕込蔵に醪のねむる台風圏唐沢静男 

 日本酒の醸造元を訪れて作った一句。日本酒造りは昔から杜氏という熟練の人がいてその長年の経験と勘どころに頼る部分が大であったが、最近では機械化が進みその過程はコンピュータが担うまでになった。
 醪(もろみ)とは蒸した米に麴と仕込み水、酒母を加え糖化、発酵をさせるどろどろの状態のものを指す。この句の面白いのは台風到来中の酒蔵の醪を詠んでいるところ。あたかも発酵中の醪が台風の影響で旨味を増しているかのように連想させてくれる。酒造りはまだまだ未知の部分が多いのかもしれない。

台風の眼に入るほどに耳聡し窪田明 

 こちらの句も台風を季語に据えた句。最近の気象情報の進化は目覚ましい。なんといっても向こう11週間の天気は概ね予測でき、それもかなり高い確率である。宇宙ステーションから撮影された台風の黒い眼の不気味な映像は衝撃的だ。
 作者はこの眼に入ってからの自分の聴覚がいつもより敏感に反応することに気が付いた。身の回りの微々たる音にも耳が聡く聞き留めたという。台風が大型であるほどこういう経験がうまれるということか。

今朝ひとつ咲きてけふより百日草平賀寛子 

 作者の平賀さんは昨年暮れ『六万騎山』という第一句集を上梓された。新潟の長岡という風土から滲み出る自然詠が特色の好著である。お祝い申し上げる。  
 さてこの百日草はメキシコが原産といわれるが花の名前はいたって日本的、由来は7月から9月にかけて咲き続けるからである。朝一輪の最初の花を見つけた本人は今日より百日間を楽しませて下さい、と丹精に水を遣る。百日草の名を巧みに取り入れた一句。

追伸に追伸を足す夜長かな渡辺政子 

「秋の夜」「夜長」という季語がある。どちらも秋の宵から始まる夜の長さをいい、その静寂な夜の長さを人それぞれが自分の心のゆくままに味わうことになる。 この句は読書ではなく一人の部屋で一人で手紙をしたためている図であろう。葉書ではない、ここは手紙としてみたい。長々としたため女性なら「かしこ」と結んではみたものの募る話は尽きずついつい追伸を重ねたと吐露している。これも秋の夜長がなせるものであろうか。

三陸の錆びし鉄路やカンナ燃ゆ竹内岳 

 9月に入り鎌倉句会のメンバーで気仙沼を吟行した。「春耕」11月号に吟行記が掲載されているので一読願いたい。その時の嘱目吟1つが掲出句である。さきの東日本大震災の爪痕は気仙沼線の鉄路にもおよび、錆を極めた線路が無残であった。真っ赤に燃え盛るカンナとの対比に胸が痛む。

野に摘みし花を豊かに月今宵八木岡博江 

 月今宵とは今宵の月のこと、名月の副季語に属する。仲秋の名月を愛でる習慣は中国から伝わったとされるが、最近の日本ではどのぐらいの方々が今宵の月に関心を持たれているのかははなはだ疑問。野に咲く花を溢れんばかりに活けて心静かに月を愛でる余裕が欲しい。

風止んで葉裏にのぞく烏瓜若木映子 

 夏に咲く烏瓜のレース編み状の白い花も特徴があるが、晩秋に朱を極むその実はもっと印象深い。木々の間や竹藪に蔓を絡めていた実が風の止んだのを機にその鮮やかな実をのぞかせた。万物が枯れを急ぐ中、ひときわ赤い烏瓜の実。