鑑賞「現代の俳句」 (143) 蟇目良雨
紙漉の水の重さのはかられず嶋田麻紀[麻]
「麻」2020年1月号
漉舟の中の水は、紙になる繊維の紙素と繋ぎのトロロアオイが水の中にどろどろに溶け合っている。漉き上げる紙の種類によってその割合はきまっているのだろうが決定するのは職人の勘である。また、掬いあげる水の重さも勘で決められる。掲句「はかられず」に紙漉の職人芸に対する尊敬の念がこめられる。
裏の戸を今年もたたく火焚鳥福山良子[山繭]
「山繭」2020年2月号
鶲を火焚鳥と書き換えることで風景ががらりと変わる。裏庭にやってきて「カチカチ」と地鳴きをするさまが裏戸に火を点けているように感じてしまう。一瞬の緊張が走ったことだろう。
多喜二忌や下の奥歯が不意に欠け河原地英武[伊吹嶺]
句集『憂国』より
戦前の世に恐れられていた治安維持法により捕らえられた小林多喜二は拷問の末に昭和8年2月20日に亡くなった。享年30。それから7年後の昭和15年に俳人を弾圧した京大俳句事件が起こっている。拷問の末に偽の調書を作りあげて多くの善良の民を葬った。下の奥歯が不意に欠けてしまったことで多喜二忌を思い出す作者の暴力に対する嫌悪感が滲んでいる。
たまゆらの日の差す結び柳かな伊藤康江[萌]
句集『結び柳』より
初茶会の床の間に飾るのが結び柳。旧年と新年を結ぶ印として使われ始めたそうだ。茶の席には様々な約束事があるがどれも深い意味をもつ。季語もまたしかり。結び柳に、揺れうごく日が差して華やぎを添えている。お正月らしい一句になった。
家々に鯉の池あり春の雪古田紀一[夏爐]
「俳句四季」2020年3月号
昔の自給自足の暮しの名残りなのであろうか、家々に鯉を飼う池がある。鯉はその家のおめでたい時に料理されるのであろう。春の雪に縁どられた池に鯉が跳ねる。春の始まりである。
雪女ハマのメリーとして逝けり藤埜まさ志[群星]
「群星」2020年春号
雪女の死にざまを描いた句として珍しく思った。ハマのメリーはハマの老嬢として生きた数奇な人生を辿った女性のことだが、美しかった女性が老いて化粧を塗りたくって哀しく死んでゆく。最後は雪女になり白装束を着せて上げたかったと思う作者の餞の気持ち。
コンセントみんな塞がり冬隣鈴木直充[春燈]
「春燈」2020年2月号
壁に埋め込まれている電気の取出し口がコンセント。夏は扇風機を差し込み涼んだが冬になると電気炬燵をそこに繋ぎ暖を取る。二口あればさらに電気スタンドを繫ぎ炬燵で読書が出来る。昔の家は部屋に一か所しかコンセントが設備されていなかったので何を使うかは父母の裁量。みんな塞がったことで冬が近いことを知らされる。
乾鮭の海鳴り遠く吊るさるる卜部黎子[春燈]
「春燈」2020年2月号
昔の我が家を思い出した。関東のある都市に住んでいたが父の故郷宮古から毎年乾鮭が送られて来る。それを鴨居に吊って少しづつ身を削いで食べた。海鳴りの届かぬところに吊るされていたが父にはいつも海鳴りが聞えていたに相違ない。
三寒の封書四温の葉書かな藤本美和子[泉]
「泉」2020年3月号
三寒の未だ寒さが厳しいときに封書でしっかりと書かれた便りが届く。少し寒さが緩んだ四温には葉書で済むような内容の便りが届く。気持も温度で変わるという証に思える一句。
葎枯るボルダリングの壁裏に柏原眠雨[きたごち]
「きたごち」2020年3月号
ボルダリングの言葉を使って俳句は出来るかと考える人もいるだろう。カタカナを俳句に使ってはいけませんと教える指導者もいるかもしれない。掲句は最近日本に定着しつつあるスポーツを一句にしたもの。壁の裏側に蔦が枯れているのではなく葎が枯れていることにより設置されて間もない設備であることが分かる。
鏡餅音たてて割れ星の夜 今瀬剛一[対岸]
「対岸」2020年3月号
鏡餅が自ずから罅割れてきた一瞬をとらえた。星の力で割れたと思わせるところに詩が生まれた。寒さの厳しい乾燥した夜であったことだろう。
湯豆腐を吸ふや白光あますなく 檜山哲彦[りいの]
「りいの」2020年3月号
湯豆腐を吸うという表現に惹かれた。絹ごしの柔らかい豆腐なのだろう。白光のように吸われた豆腐の悶え声が聞えてくる。
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