「耕人集」二月号感想 沖山由和
山茶花のほろほろ落ちてきりもなし小林淑子
掲句は芭蕉の〈ほろほろと山吹散るか滝の音〉や中村汀女の〈咳の子のなぞなぞあそびきりもなや〉を意識的に踏まえて作っている。山茶花の「ほろほろ」は多少の風のある日の散り様なのであろう。
周知のように山茶花は散りながら花は次々と咲き続ける。それを俳人たちは自分の言葉でいろいろに表現してきた。掲句も人口に膾炙した句を踏まえながらの作者の苦心作である。とくに「きりもなし」が山茶花の特徴をよく捉えている。
目貼して人の噂の遠くなる井川勉
作者が何歳くらいの方なのかわからないが、高齢になってくるととりわけ冬の寒い時期の外出は、億劫になってくる。
目貼りをしたからといって、実際に世間との関わりが薄くなるわけではない。テレビや新聞で世の中の動きを知ることはできる。しかし、外出が億劫になってくると心理的にも世事への関心も薄れてゆくものである。そのような内面の変化を、ユーモアたっぷりに表現した俳諧味のある句である。
一筋の煙暮れ行く冬田かな濱中和敏
詩情ある繊細な感性の感じられる句である。とりわけ「一筋の煙暮れ行く」の中七までの表現が巧みである。
「田仕舞」という季語があるが、これは、秋の収穫作業を終えた後、人々が集まって収穫を喜び合う祝宴をさす。掲句は、一通り田の作業が終わって、稲藁などの不要なものを最後に焼いている初冬の田の夕暮れの光景である。いわば「田の作業仕舞」なのである。冬の寒さの中ですべてのものがこれから衰えてゆく、という一抹の寂しさが、「一筋の煙」に漂っている。
手袋の片手ばかりが抽斗に藤沼真由美
両方の手袋が抽斗にある、というのでは句にならないが、「片手ばかり」となるとそこに想像の余地が広がる。
きっと、作者にとってはこの上なく愛着のある手袋だったのであろう。それなのに、どこかで落としてしまった。見つかるかなと期待したものの、未だに出てこず、片方のみが大事に抽斗に仕舞われているのである。下五のあとの言葉の省略が功を奏した。
枯野中影絵のごとき貨車走る寒河江靖子
「影絵のごとき」という表現が、一句の眼目である。情景としては、枯野原の夕暮れのひとときなのであろう。逆光のためにまるで影絵のように貨車が見えるのである。別段、彩りがうつくしいとか、貨車が生き生きとして見えるとかいうわけではない。
荒涼とした景色の中に黒いコンテナだけがゴトンゴトンと音を立てて移動してゆく虚と実のような世界である。作者にとってはその単純な色彩や動きが、忘れられない光景として
脳裏に強く焼き付いているのである。
時雨るるや網目文様石の目地相原誠則
目地は石を積むときの継ぎ目のことである。他の作品から推測するに、作者は石材の加工に従事されている方なのであろう。
時雨は勢いよく、やや斜めに石垣に降り注いでいるのであ ろう。その石垣に焦点を絞ると石の継ぎ目が網目の模様にきれいに揃っている。一瞬作者はそこに美を意識したのである。ひょっとするとこの石垣はある程度古い時代のもので、作者はその石積みの高度な技術そのものにも感心しているのかもしれない。具象が一句の大きな力となっている。
冬構声を投げ合ふ庭師かな深沢伊都子
綱を投げ合うのではなく、「声を投げ合ふ」と表現したところに掲句の妙味がある。きっと雪吊か何か高いところでの作業なのであろう。緊迫した様子がうかがえる。
昨秋、鍛錬大会で吟行した金沢の兼六園でも庭師による冬を迎えるための準備が進められていた。広い、歴史ある庭園での光景と想像する。
風呂敷に包む手土産一葉忌八木岡博江
一葉は風呂敷に何を包んだのであろうか。質草、届ける縫物、本、原稿・・鞄やバッグなど貴重な時代、便利な風呂敷は、日常頻繁に使われたことであろう。日々の生活に追われる一葉。髪の毛を撫でつつ足早に行く姿が目に浮かんでくるようである。
さて、掲句の作者が風呂敷に包んだのは、手土産である。きっと高価な菓子なのであろう。一葉とは違って生活に追われてどうこうというわけではない。恵まれた生活を送れることへの感謝の気持ちも込められているのである。
捌かるるくゑの口より冬来る上野邦治
くえを捌く光景にはめったに出会えない。調理に関係する仕事をされているか、よほどの釣り好きの方なのであろう。くえは、ハタ科の魚で、ときに1メートル、30キログラムくらいまで成長する。烏賊や鯖などを一呑みにするくらいの大きな口をしている。簡単には釣れず、釣り人にとっては垂涎の的である。おいしい魚で、捨てるところがないとも言われる。
作者には、光の加減で大きな口の中が暗く見えたのであろう。その暗さに冬の到来を感じたという、写生からの飛躍の句である。
父母もはらからもゐて落葉焚山田昭子
幼い頃の追想の句と推測する。家族みんなが元気で仲良く日々が充実していた頃のことを作者は懐かしく表現しているのであろう。
筆者にも幼い頃の同じような光景が蘇ってくる。両親もとうの昔に他界し、兄弟も欠けてしまった。ときおり、掲句のような光景が脳裏に蘇ることがある。何ともいえぬ懐かしさ、郷愁を誘う句である。
綿虫をわらべ唄もて呼び寄せむ田中紀子
メルヘンチックな句である。綿虫の句は多いが、作者の鋭い感性から生まれたユニークな一句である。「む」という意志を表す助動詞で終わっているのも効果的である。
綿虫は多くの人が目にしているように、まるで中空に浮遊するかのように飛ぶ。ときには漂ってきて、人の手に止まったりもする。童心に返ったような純な心の作である。
遠山の色失へる霜の朝百瀬千春
つい先日まで、見事に紅葉していた遠くの山々も、霜が降りた今朝はすっかりその華やかさを失い、ただ黒々と横たわっているばかりであると、季節の急激な移ろいを詠っている。
松本市にお住まいの作者、山の見えない都心部に住むものに比べ、はるかにその自然の移ろいを敏感に日々感じ取っておられるのであろう。「色失へる」にその変化への驚きが端的に表現されている。丹念にまとめ上げている句である。
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