「耕人集」 十月号 感想  沖山吉和

灯籠の父の名ゆらぎつつ流る小池浩江

 巻頭の四句中の一句である。掲句の妙味は「ゆらぎつつ」にある。灯籠の句は、場面が限定されるだけにどうしても類似句になってしまいがちである。しかし、この一語に作者の独自性が発揮されているし、切ない心情も適切に表現されている。
 多摩地区では、毎年多摩川の支流などで公共団体等が主催する灯籠流しが数か所で行われている。近年、日本の伝統や習慣が急激に失われつつあるが、その陰で伝統を大切にしようと努力されている人たちがいることに感謝したい。俳人としても季語や題材として大切に受け継いでゆきたいものである。

笑ふとも怒る顏とも雲の峰平つ満

 童心に返ったようなユーモアあふれる句である。刻々と変わってゆく雲の峰。見ていると笑っている顔のようでもあり怒っている顔のようにも見えるから飽きることがない。作者はしばし、心の中で自然との会話を楽しんでいる。
 上五、中七の「笑ふとも怒る顏とも」は対句的な表現になっている。さらにその後の省略も効果的に作用している。「とも」のリフレインも一句にリズム感をもたらすうえで有効である。

夏座蒲団叩き太鼓の桴稽古山下善久

 同じ10月号に「朝蟬やもとどり解けし荒稽古」など相撲の句が三句ある。「太鼓」は櫓太鼓、寄せ太鼓なのであろう。周囲に迷惑にならないように、藺草などでできた夏座蒲団を叩いて桴捌きを練習しているというのが妙味である。
 寄せ太鼓は、そもそもは、相談事があった時などに、呼び出しが親方衆を呼び寄せる合図として叩いたようである。また、櫓太鼓には、天下泰平や五穀豊穣を祈るという意味も含まれているという。見えないところで、多くの人が努力し大相撲を支えているのである。

武蔵野の闇を傾け秋黴雨村上文惠

 秋黴雨は、秋の長雨であるが、じとじとした感じとともにもの寂しさも伴う。「闇を傾け」は作者の心象表現である。鬱屈した心情が一語を生んだ。
 今年の秋梅雨は特に長く、日照時間も少なかった。また、時には激しく降り続き、地域によっては甚大な被害をもたらした。さらには、野菜などはその煽りで高騰するなど、人々の実生活にまで少なからず影響を及ぼしている。作者のお住まいの地域においてもそれは同じである。掲句には、近年の異常な気象現象への不安が意識として潜在していると考える。

蟬しぐれ宝物殿の重き錠飯田千代子

 聴覚と視覚、動と静、命あるものと人工物という対照的なものの斡旋がよい。さらに、重い錠がかけられているのは、日本の歴史的な遺産が納められている宝物殿ということも一句の情趣を深めるうえで効を奏している。
 観念ではなく、具象を通して表現することの大切さが俳句作りのうえでしばしばいわれる。掲句はまさにそのお手本のような句で、具象と具象を取り合わせることにより、異次元の世界を作り出している。

南谷赤翡翠の声転ぶ小林美穂

 赤翡翠は、翡翠の一種である。大きさは、鵯程度。その名の通り赤い色で、渓流の近くに住み、小魚を捕って食べる。また、赤翡翠は、キュロローと高く澄んだ美しい声で鳴く。下五にある「転ぶ」は転倒するの意ではなく、転がすように美しく鳴いている様子を意味する工夫の一語である。
 先師皆川盤水氏が、こよなく愛した出羽三山。南谷には「月山に速力のある雲の峰」の句碑も建っている。作者は鶴岡にお住まいの方。あえて「南谷」を上五に据えたのは、盤水句碑を踏まえての挨拶句であるというふうに解釈すると一句はさらに深いものになる。

たそがれの簗の傾ぎに魚ひかる川島惠子

 作者は河原に立っている。川の中ほどには下り簗が仕掛けられている。下流へ下ろうとした鮎が何匹もその簗にかかり、勢いよく跳ねては薄暮に白い腹を光らせている、という光景である。
 川音もかなり高く立っているのであろうし、周りにはまだ人々がいて、話し声も聞こえてきてはいるのであろう。しかし、それらはすべて省略されている。作者の意識は、薄暮の中で動き光っている魚に集まっている。暗の中に明を際立たせた焦点化が見事である。

門燈の淡き影おく白芙蓉今江ツル子

 感動したことをありのままに捉えて表現するだけでは、多くは説明の句に終わってしまう。句として成立させるためには、俳句としてのフレームで捉え、表現する必要がある。その要件の一つに作者なりの捉え方、表現の仕方を工夫することがあげられる。
 ここでは「淡き影おく」という表現に注目したい。「ある」ではなく、「おく」と作者はかな表記で表現している。これは白芙蓉の色の白を浮き立たせるためにあえて作者が工夫した表現である。この一語で微妙な感覚を表現することに成功している。

車座の中に置かれし岩魚酒藤井達男

 省略の効いた句である。車座の中に岩魚酒が置かれている、とだけ作者は表現している。しかし、そこからさまざまなことが想像され、一つの世界がたちまち構成されるから不思議である。
 ほとんどが高齢の男性であろうか。趣味を同じくする人たちが田舎の自然の中で一日中行動を共にしたのであろう。その後の楽しい憩いのひとときの句。岩魚酒も入って多少羽目を外しながらも話題は尽きない。ある程度人生を重ねた人たちの自然の中での時間の過ごし方、生き方がほうふつと浮かんでくる句である。

夕立や静かになりし子の喧嘩山上英子

 作者は筆者と同じ多摩地区の句会に所属している方である。子育てに夢中だったころの回想の句。
 些細なことでまた兄弟喧嘩が始まった。作者は厨にいる。いつものことなので、そのうちまた静かになるだろうと高を括っていたが、やめる気配がない。そのうち、夕立が激しくなり、ゴロゴロという雷の音も聞こえだした。その音に驚いたのか兄弟喧嘩もやみ、家の中は急に静かになった。「地震、雷、火事、親父」といわれた時代のことである。