「耕人集」 十一月号 感想  沖山吉和

通し土間風も蜻蛉もつつぬけに林美沙子

 通し土間とは表通りから裏まで通じた土間のこと。多くは裏に川が流れている。かつて商家などにおいて、船で運んできた物資を表通りに運ぶために使われていた。掲句の家もある程度年数の経った家なのであろう。
 川からの風ももちろん吹き抜けるのではあるが、時にはその風に乗るかのように蜻蛉までが通過してゆくというところに妙味がある。「つつぬけに」が効いている。

病む妻を励ます窓辺秋海棠佐藤勇

 作者の優しい人柄が滲み出ている句である。病が長引いて精神的にも参っている伴侶。そんな伴侶を作者は一生懸命に看病し、言葉を選んでは励ましている。長年連れ添ってきた人が一番伴侶のことを分かっているのである。
 暗くなりがちな一句を支えているのが「窓辺」であり、「秋海棠」である。秋海棠は鉢植えのものなのであろう。これらの語が希望を暗示しているように感じる。

風道を捉へて猫の昼寝かな清水禮子

 猫は動物の本能で、どこが涼しいのか、どこが安全な場所なのかをよく知っている。そして、ここと決めた場所で昼寝を決め込む。夜になってもなかなか気温の下がらない暑さにいささか参っている作者には、それがなんとも羨ましい。
「風道を捉へて」が一句の眼目である。「選んで」ではなく、「捉へて」としたことで、一句に俳味が生まれた。

いささかの強気生まるるサングラス伊藤克子

 俳諧味のある句である。普段言いたいこともいろいろあるが、周囲への気遣いからそれをなかなか口に出せない。しかし、サングラスをかけてみると少し強気になってきて、言いにくいことも意外にすらすら言えそうな気がする、というのである。
 中七の擬人化の「強気生まるる」という表現が功を奏している。一句の言葉の用い方が洗練されている。

アラジンの魔法のランプ夏の雲大塚紀美雄

 「アラジンの魔法のランプ」は言わずと知れた『千夜一夜物語』として有名な物語の中の一つである。魔法のランプは擦った人の願いを叶え次々といろいろな物を出してくれる。
 言葉を極端に省略した。アラジンの魔法のランプと夏の雲の二物だけで構成されている句である。それでいて句意はきちんと伝わるのであるから不思議である。まるで童心に返ったようなユーモアの感じられる句である。

名月を一人占めして浜に座す仲間文子

 古今集に大江千里の「月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど」という歌があった。満月を見ていると不思議にいろいろものが思われる。作者も広い浜辺で一人波の音を聞きながら、満月を見上げては、しみじみともの思いに耽ったことであろう。沖縄の大自然の中での悠久の時間を感じさせる。
 今年の十月の春耕五十周年祝賀会には沖縄から六名もの方々が参加され、筆者もしばし歓談の機会を得た。沖縄の句会の様子、沖縄の自然とのかかわりなどいろいろな話を聞くことができて実に有意義な時間であった。

鈴一つ落として戻る跳人かな綱島きよし

 東北六大祭の一つである青森のねぶた祭での一光景である。一生懸命に踊っているうちに、一人の跳人(はねと)が手首につけていた鈴が一つだけ飛んで行ってしまった。慌てて拾いに戻る若い跳人。その様子がやや滑稽ではあったが、真剣そのもので祭への情熱を感じさせられたというのである。
 連なる大型ねぶた、踊る跳人の賑やかな姿、打ちあがる花火の音、ねぶた祭の盛り上がりや躍動感が伝わってくる。

サイレンに譲る車道や秋暑し石井淑子

 今年も秋に入ってから暑い日が続いた。盆地の奈良もそれは一入であったろう。「譲る車道」から考えるに、作者は車を運転していたのであろう。 後ろから救急車のサイレンが聞こえてきた。慌てて適当な場所を見つけては、車を片寄せしたのであるが、ふっと一息ついたその瞬間、改めて暑さを感じたというのである。一瞬の微妙な感覚を巧みに表現している。
 
飾り玉ちりばめ雨後の蜘蛛の網笹原紀男

 自然の織りなす美しい姿を見事に捉えている。「飾り玉ちりばめ」は、蜘蛛の巣に付いたたくさんの雨滴が日に当たってキラキラ輝いている様子。
 夏の朝の散歩の途中での光景であろうか。昨夜の雨もすっかりあがって今朝は快晴。ふと見上げると樹間に張った蜘蛛の巣にびっしりと雨滴が付いていて、それが朝日に彩り豊かに輝いているというのである。比喩の使用が色彩感を高める上で効果的に作用している。

小鳥来る時止まりたる生家かな安奈朝

 久しぶりに帰省した作者。子供の頃を過ごした我が家をしみじみとみる。柱の傷、窓からの景色、居間のテーブル・・・何もかも昔のままである。外では渡ってきた小鳥がしきりに鳴いている。
 次に、それにしても、家を出てからこれまでわが身においてはいろいろなことがあったな、と作者は感慨に耽るのである。変わらない生家、変わった自分が言外に対比されている。

無人駅闇渺茫と虫の声澤田穣

 「渺茫」は広々として果てしないさまを言う。騒がしいほどの虫の音が聞こえる地方の無人駅の夜の様子を詠った句。「闇渺茫と」の中七は、果てしなく闇がどこまでも続いているのではないか、という錯覚すら感じさせる。
 地方に旅行してみて感じることであるが、近年、特に無人駅が増えた。利用者減に伴い列車の本数も少なくなり、廃線の問題が深刻になっている地域もある。詩情のある句でありながら、一方で取り残されてゆく地方のさみしさや過疎化という深刻な問題をも提示しているように感じられる。

郭公や畦に煤けし大薬缶山田高司

 確かな写生の句である。情景としては、標高のある程度ある山間の田んぼが考えられる。山の中腹では郭公がしきりに鳴いている。何人かの人たちがせわしなく田んぼの中で働いている。お昼休みには、枯れ枝でも集めて、湯を沸かすのであろう。その畦に煤けた大きな薬缶が一つ置かれている。
 一昔前ののどかな田園の風景のようである。遠くの郭公の聴覚に対して、近くの視覚としての大薬缶を配しているのが句に広がりをもたせる上で効果的である。