「耕人集」 1月号 感想  沖山志朴

野の風に色の広ごる秋桜 横山澄子

 広い野原一面に植えられた色とりどりのコスモスの花が咲き揃い、そこに風が吹き渡って一斉に揺れている光景であろう。けっして珍しい景色ではないが、「色の広ごる」と表現した作者の感性が光る句である。この措辞により、景に広がりが生まれるとともに、花の揺れる印象がより鮮明になってくるからである。
 見慣れた光景や素材であっても、どのような角度からそれを捉えるか、どこに焦点を絞るか、どのような言葉選びをするかなど作者の表現の仕方や工夫により、作品の印象や完成度に大きな違いが出てくる。その一例を示してくれているような句である。

柿一つまた落つる音村しづか 本間ひとみ

 静けさの中に、熟柿の落ちる高い音がまたした。作者は手を止めて視線をそちらに向ける。しかし、あたりに動くものはなく、また元の静けさに戻ったまま。以前にはよく聞こえてきた子供たちの遊ぶ声も聞こえてこなければ、車の行き来する音もめっきり減ってしまった。やがて来る厳しい寒さに村はますます孤立の影を深めてゆくだろう。作者は、また手仕事を進める。
 人口が減少し、高齢化が進み、何の変わりばえもない静かな村。そんな村の行く末への不安が掲句には象徴的に表現されているように感じられる。

通学路なほ背を反らすいぼむしり伊藤宏亮

 通学の途中で、子供たちが蟷螂を見つけた。一人が指を近づけてからかうと、怒った蟷螂が鎌を振り上げる。それをまた面白がって、別の子が手を出す。しばらく蟷螂は、背をそらし、振りかざした鎌をそのまま上げて怒りの姿勢でいる。やがて子供たちは、行ってしまった。「なほ」には、そのような前段の状況や過程を省く意味合いが込められている。
 子供たちの悪戯と蟷螂の反応を取り合わせることで、ユニークな蟷螂の句にまとめることができた。

鉦叩灯もともさずにひとり居り秋山淳一

 鉦叩の鳴き声は、小さく微かな音である。ちょっとした物音でもすぐに鳴きやんでしまう繊細な神経の虫でもあるようだ。
 作者には、聞きなれないこの虫の鳴き声をもう少し聞いてみたいという思いがあったのかもしれない。あるいは、今日一日の出来事が脳裏をかすめ、感懐に耽っているのかもしれない。しばらくは、心の整理をつけながら、秋の夕暮れのひと時、一人の時間を大切にしているのであろう。

柿紅葉十色の絵具混ぜ合はす丸山きみ子

 柿の紅葉は実に美しい。たった一枚の葉でもよく見ると、いくつもの色がその中に配されている。そしてそれらの色が微妙に美しい配合をなしていたりする。櫨紅葉などとは違って、紅一色ではないのが柿の葉の特徴。
 中七の「十色の絵具」には、そのような柿の葉の特徴がうまく表現されている。絵を描く人の繊細な色彩感覚が生かされている句である。 

内科医の沈黙長し初時雨郷芭行

 簡単に治るであろうと思って病院に行った作者。しかし、事態はそう簡単ではなさそうである。医師にも病名や治療法が簡単には思いつかないのであろう。さらに精密検査、長期の治療ということになるのではないかということも作者の脳裏をよぎる。
 容易ならぬ事態を直感した「沈黙長し」の中七の措辞が巧みである。沈黙の中で高まる初時雨の音…。聴覚も生かしながら鑑賞すると一句は深みを増す。

だんだんに身に入む話クラス会伊藤克子

 久しぶりのクラス会。多くの友達が集まっての楽しい語らい。そのうちに一人が我が身の病気について話し出す。違う友は、介護の苦労について話し出す。さらに別の友も…。初めのうちは楽しく聞いていた話も、明日は我が身に起こりうる問題のように思われて、作者はしだいに重い気持ちになってゆく。
 ある程度の年齢になってくると、誰もが経験するような話である。楽しいことばかりのクラス会ではない。身につまされる句である。

一村に響く杵の音鎌祝池田栄

 鎌祝は、鎌納め、刈上げなどとも言う。稲刈りが終わった後、鎌を神棚などに飾り、赤飯を炊いたり、餅を搗いて供えたりして、世話になった人たちともに収穫に感謝するという農耕儀礼の一つ。
 今では、コンバインなどの導入により農作業も様変わりしている。地域によってはすたれてきている行事かもしれないが、掲句の地域においては、今も大切に受け継がれている。「一村に響く」の措辞に収穫に感謝する気持ちが込められている。