「耕人集」12月号 感想  沖山志朴

忘れ去ることもしあはせ曼珠沙華 桑島三枝子

 曼珠沙華は、秋の彼岸が近づくと一斉に咲きだし、人々を酔わせ、やがて消えてゆく。一方、人には、いつまでも心の中にしまっておきたい楽しい思い出がある半面早く忘れ去らなければ生きていけないような、つらいことも多い。嫌なことを引きずっていたのでは、心穏やかに生きていくことはできない。掲句は割り切って生きてゆかざるを得ない心の有り様を詠った句であると解釈できる。
 抽象的な内容と具体物である季語の曼珠沙華との絶妙な調和の句である。   

月白や寝返りさせて母軽し 清水和德

 「軽し」から、長期にわたる介護であることが推測できる。一方、この語には体力的に衰えてゆく母親を気遣う気持ちも滲み出ている。心身ともに疲れきっているのであろうに、それは句には表現されてない。
 そのような状況の中でも、満月の出るのを楽しみに待つ親子。季節の情趣を共に味わおうという思いは、作者の優しい人柄のなせる業なのであろう。

赤子の眼月と交信するやうな 請地仁

 夢中で会話している大人の傍らで、赤子が静かに月を見つめている。よく見ると、それは、赤子がまるで無言の会話をはるか彼方の月と交わしているようにも見える。
 いや、大人にはわからないが、実際に互いに交信しあっているのかもしれない。大人の知りえない、赤子だけに備わった超能力があるのかもしれない、と思えてくるようなユニークな句である。    

飛島は風待ち港今年米 齋藤眞人

 新米の出回る季節になった。今では、陸路で簡単に米は運ばれるが、江戸時代は海上輸送が主であり、嵐で遭難する船も珍しくなかった。
 飛島は江戸時代には米どころの庄内藩の所領。季節風の激しくなる時期、酒田港から出た船が、ここで季節風を防いだり、食料等の補給をしたりと、重要な役割を果たしてきた。郷土の発展のために欠かせなかった。そう思いつつ、しみじみ作者はその飛島を眺めたのであろう。

秋思ふと音の躓くオルゴール 山田えつ子

 ピンの摩耗であろうか、発条のゆるみであろうか、オルゴールの癒しの音色がいったん途切れた。その瞬間に湧いた憂いを詠っている。
 秋の澄んだ景色に静かに鳴るオルゴール。こんな季節は人の心も揺れやすい。ほんの一瞬の些細な音のつまずきが、作者の心を暗鬱にさせる。繊細な心の内を反映した句である。  

いく度も試して止まる赤とんぼ 関谷総子

 自然をよく観察している方だと思う。よく見かける光景であるが、多くの人は特に気にも留めない。しかし、作者は、しっかりその動きを目に焼き付けている。
 赤とんぼは小枝の先などによく止まる。しかし、危険を感じたり、風が吹いてきたりすると、一旦舞い上がり、再び挑戦する。それでだめだとまた同じ動作を繰り返す。自然に同化している作者の心の目で作った句である。

秦の世の枡や錘や秋深し 角野京子

  秦の始皇帝展を観た折の句であろう。始皇帝は国ごとに異なっていた度量衡を統一したことでも知られている。特に枡や秤を統一したことは有名。それは、わが国にも大きな影響を与えた。
 会場に、実物の枡や分銅などが展示されていたのであろう。隣の中国の歴史に素材を取った珍しい句。それをうまく一句に仕立て上げた技量は立派である。
 
大道芸しくじつてみせ秋うらら 上野直江

 街中でよく見かける光景である。あえて失敗の演技を見せることで、観衆の緊張を和らげる。そして、その心の虚をつくように、次の演技を見事に成功させ、深く印象付けるのである。
 観衆は、その大道芸人の計算しつくされた罠にまんまと嵌る。季語の「秋うらら」は、それでいいのだという納得感を読者に与えてくれる。 

灯を消せばさらに透きゆく虫の声 松村由紀子

 床に入り、明かりを消すと、虫の鳴き声が一層澄んで心に染み入るように聞こえてくるという感覚の句。
 食事の世話、片付けと慌ただしい時間を送り、ゆっくりと虫の音を楽しむ時間もとれない主婦。「透きゆく」の措辞は、「これでやっと慌ただしい一日が終わる」という安堵の気持ちを象徴していると解釈する。