「耕人集」 7月号 感想 沖山志朴
藤の花揺れゐて山刀伐峠かな中村宍粟
「高山森々として一鳥を聞かず、木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし…」。芭蕉が、山刀伐峠を越えたのは、新暦の七月初旬。『奥の細道』には、命の危険もあり、屈強の案内人二人を付け、不安な心持でやっと越えたと記されている。
作者は、これがあの奥の細道の山刀伐峠だと聞き、感慨深いものが込み上げてきたのであろう。藤の花は、奥の細道の山刀伐峠越えとは直接関係はないが、実景を描写することで、峠に立った実感をよりリアルに出そうとする作者の工夫なのであろう。
しやぼん玉消えて雨情を偲びけり鈴木博子
人口に膾炙している野口雨情作詞の童謡「シャボン玉」の歌は、産まれて七日目に亡くなった雨情の長女への思いが元になっているとも伝えられている。
上がっては眼前で次々と消えてゆくシャボン玉を眺めつつ、作者は、ふと幼い子供を亡くした雨情の深い悲しみを思いやったのであろう。しみじみとした情趣の湧いてくる句である。
湧水の暮しの音や夏きざす岡島清美
町中にこんこんと水が湧き、豊かに流れている、そんな場所での嘱目吟であろう。「暮しの音」とは、米を研いだり、茶碗や野菜を洗ったり、濯ぎ物をしたりという日々の生活を送るための音を指す。多くの人がその湧き水を日々使って生活を潤しているのであろう。
「夏きざす」は、聴覚を通じての多分に感覚的な表現である。音数の都合上言葉を省略したのであろう。ともすると、読者に分かるようにという思いから、句が説明的になってしまいがちであるが、掲句においては、この省略が却って句の深みを出すうえで効を奏したといえよう。
きらきらと稚魚の広がる春の川山本聖子
鮭であろうか、はたまた鮎の稚魚であろうか。子供たちが大勢で、「大きくなって帰っておいで」とでも言いつつ放流したものであろう。水の温んだ流れの中へ光りつつ散ってゆく姿を目が追う。
きらきら、稚魚、広がる、春の川、どれもが明るい雰囲気を蔵した視覚を通じての素材である。春らしい、そして夢が未来へと広がってゆくような明るい感覚の句である。
花の種蒔くや改元晴の朝保坂公一
改元を迎えた五月一日の朝、よく晴れた空の下、心を込めて花の種を蒔いたという。きっと、美しい花よ咲け、そしてよい御代が来るように、と心に念じつつ丁寧に蒔いたのであろう。
中七が句またがりの破調になっている。作者の呻吟したであろう跡がこの破調にうかがえる。改元の句は取合せが難しく、ともすると即きすぎになってしまいがち。掲句はうまくいった一例として讃えたい。
羅漢二人酒酌み交はす桜時西尾京子
五百羅漢の中の二仏であろうか。満開の花のもと、にこやかな表情で仲良く酒を酌み交わしている長閑な光景である。
春の昼下がり、現世の花見は、ついつい酒の度が過ぎて、大声で騒いだり、歌い出したりと迷惑千万な行為も少なくない。それに比べて、羅漢さんたちは、花を楽しみ、酒を楽しみ、心からのふれあいを楽しんでいるようだとうらやましく眺めている。ほのぼのとした春の雰囲気が伝わってくる句である。
背を丸く網を繕ふ卯月波石井淑子
卯月波は、陰暦四月頃の、低気圧の通過に伴う白波の立つ荒れた海の状況。ちょうど卯の花の咲くころであることから付けられたといわれている。荒海の状況を指しながら風情の感じられる季語である。
この日は、海が荒れていて、出漁できない。上五は普段、刺網漁でもして生計を立てている老漁夫をイメージさせる。小さな漁村で、海を愛してひっそりと生きている一人の老漁夫の姿を象徴するような句である。
月山を水面に残し鳥帰る結城光吉
湖いっぱいに群れていた水鳥たちが、季節の到来とともに、北へと飛び立ち、すっかり姿を消してしまった。代わりに、水面には、くっきりと月山の影が映っているという。表現としては、擬人法を用いて情景を鮮明に印象付けている。
群れている冬場は、騒がしいことよと思ったりしても、いなくなってしまうとそれはまた寂しいもの。そのような余情が見事に描かれている。
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