「耕人集」 6月号 感想  沖山志朴

あはあはと風にしたがふ柳かな深沢伊都子

 柳は芽吹きの早い木であり、日本では、古くからめでたい神聖な木として崇められてきた。掲句は、芽吹き始めた枝垂柳のしなやかな美しさを通して、春の到来の喜びを詠っている。
 「あはあは」は古語の形容詞である「あはあはし」の語幹。芽吹き初めの色の浅いことと、しなやかに風に吹かれる動的な意味合いの両方が込められている。
 技法としても、中七で擬人法を用いることにより、その印象を一層鮮明にしている。 

雑木山空へ芽吹きの色重ね飯田千代子

 春先の移りゆく自然を視覚的に捉えた句。下五の「色重ね」に作者の情感が込められている。
 いちがいに木の芽といっても、樹木の種類によりその色調はまちまちである。その微妙に違う色合いがなんとも美しいのであるが、作者はそれを「色重ね」と表現し、日ごとに変わる自然の様相に感動している。連用形で終わっているのも、一句に余韻を持たせるうえで効果的である。

畑焼の掛け声風に荒くなる請地仁

 「掛け声」とある。当然のことながら、何人かが共同で役割を分担して作業を進めている大掛かりな畑焼であろう。一歩間違えば大惨事を招くだけに神経を使う。掲句は、急に風が強くなってきて、その緊張の中で高い荒々しい声が飛び交っている状況を捉えている。
 「畑焼」は、山焼きや野焼きと同じ春の季語。畦の枯れ残りの草を焼く「畦焼」や、田に切り落とした藁を焼いて害虫を駆除する「畑焼」を指したりする。掲句では、その両方を同時に行っていることが推測できる。

のどけしや水琴窟の間のしじま青木民子

 「のどけし」は、通常、日永の時の流れや景色のゆったりとした状態のことをいう。しかし、掲句においては、聴覚を取り上げている。
 静かな落ち着いた場所にある水琴窟。はつかに聞こえてくるその澄んだ水音、それが、間がゆったりとしているため、のどかな雰囲気を醸し出しているという聴覚の世界の句である。 

気の重き見舞帰りやつくづくし尾碕三美

 病院へ見舞に行ったものの、予想した以上に見舞った人の容体が悪化していて、驚いたのであろう。家族や関係者に見舞時の様子も伝えなくてはならない。しかし、率直に伝えてよいものかどうか迷う。気持ちも、足取りも自ずと重くなる。
 そんな時、目に留まったのが道端のつくし。季節の移り変わりを思うと同時に、この先、どう容体が好転するかわからないではないか、と思い直し、自らを勇気づける。「つくづくし」は希望への象徴的な意味合いとして用いられている。

雪解や百の棚田に百の畦池田春斗

   雪解けが始まった。見上げると、斜面の棚田の沢山の畦が、まるで網目のように雪の中に浮きあがってきたではないか。しばし、その自然と人工物の織り成す光景の美しさに魅せられる作者。
 日ごとに冬から春へと移ってゆく自然、雪国の人たちの待ち焦がれる春、ようやく長い冬が終わって春が訪れたという確証の呟きである。リフレインも効いている。

団欒の声良く通る春障子高瀬栄子

 「団欒」「声良く通る」「春障子」と明るい素材が三語も並ぶ気持ちのよい句である。夕食後の家族の団欒時の光景であろう。
 位置関係としては、居間に何人かの家族がいて、楽しく談笑している。作者は、台所にいて食後の片付けでもしているのであろうか。その間に春障子があると考えてよかろう。家族の温かい人間関係までもがその障子を通して伝わってくる。

太文字の辞令の重み春立ちぬ舘千佳子

 四月からの新年度の人事異動に伴っての事前の辞令交付式なのであろう。上司より太文字で大きく書かれた厚紙の辞令が渡される。恭しくそれを受け取る。改めて身の引き締まる思いがこみ上げてくる作者。
 さらに、「辞令の重み」の語から推測するに、単なる異動の辞令というだけではなく、昇進の辞令でもあるということが考えられる。雰囲気から、今まで以上に責任の思い立場に置かれたという実感がひしひしと伝わってきた瞬間であったのかもしれない。作者の人生における大きな転換期の忘れ得ぬ一齣になろう。