「耕人集」 5月号 感想  沖山志朴

雪囲取りて枝葉のこぼれ出る髙梨秀子

 雪国に生活する人ならではの句。雪囲は、一般的には風雪を防ぐために家の囲いをするものと思われているが、庭木などの樹木を守るための囲いをも指す。掲句の雪囲は、後者のものと理解できる。菰などにくるみ、荒縄で縛り上げるので、樹木にとっては当然窮屈な状態で冬を過ごすことになる。「こぼれ出る」には、解放されたそんな植物の喜びが表現されている。
 樹木だけではなく、当然、不自由を強いられてきた人々にとっても、これは待ち焦がれた季節の到来であることを意味する。これからは、畑へ、海へ、山へと俄然人々の営みも忙しくなるぞ、と暗示する。 

山焼の燻り残る祖谷の里本多孝次

 かずら橋でよく知られる祖谷。深山幽谷を思わせる急峻な地形は、平家の隠れ里としてもよく知られている。掲句の山焼は、愛媛県と徳島県の県境に位置する塩塚高原で毎年3月に行われる山焼きであろうか。厳しい自然環境の中で、思うような耕作もできず、人々は、長い間不自由を余儀なくされてきた。しかし、今は観光地としてよく知られるようになり、年間を通して多くの人々が訪れる。山焼の主たる狙いも高原の景観を守ることにあるようだ。
 作者は、燃え上がる焔ではなく、ほぼ焼き終わった末黒の景を取り上げている。いまだ興奮冷めやらぬものが心のうちにあるのであろう。感動を静かに詠っているのが印象的である。

岩頭を攀づる人ごゑ梅三分関谷総子

 ちらほらと咲き始めた梅林、その彼方に岩壁があり、そこを複数の人が声を掛け合いながら攀じ登っている光景。少しずつ上り詰めてゆく小さな人影を、作者は、はらはらしながら遠くから見やっている。
 筆者も同じ光景を目にしたことがある。場所は、4,000本もの紅白の梅が咲き乱れる湯河原梅林。山峡のなだりに咲く梅を下から見上げたその景観は実に壮大である。その先に屹立する大きな岩壁は、ロッククライマーたちの憧れの場所なのであろう。掲句は、人ではなく、山峡に響く人声に焦点化し、景に距離感や広がりを感じさせているところに工夫がある。 

額縁のうらに留まる追儺豆高井信子

 「額縁のうら」に取り残された追儺豆を取り上げたところがユニーク。「福は内」といって投げた豆のいくつかが壁に当たり、跳ね返っては額縁の後ろに留まったのであろう。
 句会においては、類想類句の問題がしばしば指摘される。豆撒きのような限定された空間で、同じように毎年行われる年中行事、どうしてもこの類想類句の問題から逃れることはできない。しかし、少し視点を変えることで、句に新鮮味や個性が出てくることを教えてくれている句である。  

手相とは違ふ人生春うらら平向邦江

 生命線、金運、結婚、それとも運命…?いろいろな想像を掻き立てる。季語の「春うらら」の雰囲気から想像するに、過去に余りよくない占いが出て、気にした時期があったのであろうか。
 しかし、振り返ると、これまで十分充実した半生を過ごすことができましたよ、運勢というものは、たとえ悪い診断が出たとしても、そんなに気にすることはないですよ、といったところであろうか。楽しい、省略の効いた、想像を生む句である。

思ひ出に時効はあらず雛飾る池田年成

 思い出に時効がないという発想が意表を突く。確かにその通りである。むしろ、ある程度の年齢を過ぎると、昨日今日の記憶よりも、遠い過去の記憶の方が鮮明に蘇ったりする。
 家族がお雛様を飾っているその傍らで、それを眺めている作者。すると、幼いころの家族との記憶がまるで映像でも見ているかのように、不思議なくらいに鮮明に蘇ってきたのであろう。そして、懐かしさとともに流れた月日をしみじみと思いやる。人生を重ねたものの重みのある句である。  

初燕城の焼け跡旋回す與那覇月江

 首里城の大半が焼失したのは、昨年の10月末日。ニュースは、たちまち全国に広がり、日本中の人々を悲しませた。首里城は、文化遺産として高い価値を有することはもちろん、沖縄の人々にとっては精神的な拠り所でもあっただけに、その喪失感には、計り知れないものがあった。
 燕は、研究者の調査では、かなりの数、同じ地域に戻ってくるそうである。当然、旋回していたのは、大方は前年の秋に沖縄を離れた燕。その燕も焼失を悲しんでいる、と解釈することも可能であるが、作者の燕に仮託した首里城への鎮魂の句であると理解する方が句の深みが増してこよう。