「耕人集」  2月号 感想         髙井美智子 

向き変へてからは動かぬ冬蝗峯尾雅文

 畦の日差しを全身に浴びている冬蝗。秋には人の気配にさえも機敏に飛び立った蝗であったが、それとはまるで違った動きに作者は目を凝らした。「向き変へてからは」の措辞が蝗の次なる動きを待ち構えている作者の凝視する心の様子が見えるようだ。
 下五は己の衰弱を受け止めるほかない冬蝗の様がクローズアップされた。体言止めで言い切ったことにより、逆に蝗の意地や強さが醸し出される句となった。冬蝗の生態を良く観察した即物具象の句でありながら、作者の心内まで反映しているように思える深みのある句である。句跨りの破調が蝗の鈍さを表現する事にもなっている。 

アルプスへ梯子立て掛け松手入古屋美智子

 壮観な北アルプス連峰を一望できる松本では、松手入の作業を見上げる角度によってはこのような雄大な光景となる。作者はその時の感動と感覚をのがさず、大胆に表現した。古木の松へ梯子を長く伸ばしたことであろう。お住いの松本ならではの嘱目句である。

沢庵の桶歩かせて移しけり高橋ヨシ

 沢庵漬けは冬支度の大仕事でもある。雪に閉ざされた長い冬を乗り切るには大切な必需品の食料である。色合いや塩加減など家によって異なり、主婦は自慢し合い、漬け方の情報を交換する。
 大桶に漬け込んだ沢庵。さて位置をずらすことになったが抱える事など到底できない重さである。大桶を右や左に傾けつつ進ませる。まるで桶を歩かせているようだと作者は感じとったのである。丹精を込めて漬け込んだ沢庵だからこそ、この作業を擬人化で言い表す事ができ成功した。

年の瀬や嫗が唄ふ伝承詩与儀忠勝

 沖縄は琉球王朝以来の豊かな歴史と文化が育まれ、それらを伝える各種の伝承詩が残されている。
 掲句は葬送の時に三線を弾きながら、琉球メロデイに乗せて伝承詩を唄う沖縄の風習であると言う。年の瀬の引き締まった寒さの中で、来世へ死者を送り出す嫗の歌は作者の心に迫るものがあったであろう。
 最近は沖縄でも埋葬の儀式は簡略化されており、このような風習は少ないようだ。 

大根引く思ひの外の短さよ髙梨秀子

 飾り気のない素直な言葉を選んだ事により、作者の驚きが強調された句となった。大根はほぼ同じ長さの青首を地上に出しているが、形や長さは地中に隠れたままで見分ける事ができない。作者は葉の成長ぶりで大きさを想像し、かなりの力で引いたに違いない。期待に反し、何と短いではないか。滑稽味のある作品に仕上がった。  

コロナ禍の小声で締める酉の市安井圭子

 作者は松山にお住まいの方である。酉の市の締めが小声だったことに拍子抜けした作者。新型コロナウイルスの感染対応策の珍しい風景を切り取った時事俳句である。神社もコロナ禍の折、このような苦肉の策を講じたのだ。きっと手締めは大きく響いたに違いない。
 因みに八王子の城下町の酉の市は、鳥居の前で一列に並び、体温の検査をした後、境内に入場するという物ものしい雰囲気であった。

小春日や矢切の渡舟水脈長く岡本次男

 寅さんの柴又を楽しみ、柴又帝釈天をお参りした後、矢切の渡舟に乗り、下総へ渡った作者。小春日の緩やかな流れの江戸川である。舟上の楽しさだけでなく、周りを良く写生した抒情味に溢れた句である。小春日の季語の選択が的を射ており愉しさが伝わってくる。
 下総の葱畑や「野菊のこみち」を散策した後、帰りも舟に乗り込んだであろう。下五の水脈長くは、風のない波の穏やかさが鮮明に映像化されており、さらに下総を後にした心残りの気持ちがにじみ出てくる佳句となった。
 近くの江戸川のほとりに鯉料理で親しまれてきた「川甚」がある。鯉こくなど鯉づくしの料理の淡白な美味しさは格別である。しかし、新型コロナウイルスの打撃を受け、令和3年2月遂に閉店。創業231年の歴史に幕を閉じる事となった。「今なら従業員に退職金を払える」という八代目社長の天宮一輝さんの従業員を思う言葉に感慨深いものがあった。

枯蓮田音たてて来る宵の雨末重敏子

 筑波山を近くに、蓮田は家の裏口まで広がっている。霞が浦や筑波山の風に吹かれて、雨が枯蓮を叩きながら押し寄せてくる。宵闇に聴覚を研ぎ澄ませた臨場感に溢れる力作となった。
 霞が浦のほとりに先師皆川盤水の句碑「枯芦のゆたかにけふの日をとゞむ」がある。

 長きに亘り耕人集の皆様に寄り添い連載されてきました沖山志朴様、大変お疲れ様でした。今月号からは、未熟者の私が一から勉強をし、皆様から教わりながら鑑賞をさせて頂きます。宜しくお願い致します。高井美智子